羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
白い猿はファンじゃないけど、翔ぶ猿は好き

この頃はとんと相撲には興味を無くし、いったい誰が大関なのかもわからんありさまである。

それでも十代二十代の日々を熱狂的な相撲ファンで過ごしたから、今でもTVにお相撲さんが映ると、「ん?」てな感じで目を止めてしまう。秋場所が始まったから、「ん?」も多くなった。

そんなある日、「ん? んん? んんん?」と、翔猿(とびざる)という若いお相撲さんをしげしげと見つめてしまった。というのも4年前の夏、立川の巡業場所で、お腹をぺちょぺちょ触らせてもらった幕下力士にお顔がよく似ていたからである。今場所、新入幕を果たしたと紹介されていた。

「まさかなー」と疑いつつWikiで「翔猿」を検索した。するとなんとなんと、追手風部屋所属、本名「岩崎」と書いてあるではないか。間違いない、あの時のお相撲さんだ!(2016.8.6羽生ノート参照。タイトル『お相撲さんのお腹に祈る』のお腹は翔猿のお腹のことである。)

感無量だ。あれから岩崎は大きく負け越すこともなく、小さな身体で少しずつ少しずつ出世していったのだ。

あの日、大勢居たぺえぺえ力士の中でなぜ岩崎に目を付けちゃったかというと、それはもう「目立っていた」としか説明できない。取り組みでは負けたので別に強かったわけでもない。積極的に稽古土俵に上がっていたわけでもない。ただ、土俵をぐるりと取り囲んでいた数多の幕下の中で、ひときわ目立っていたのだ。きびきびしていた。ポケっとしていなかった。(お相撲さんに限らず私は「ポケっと」に厳しいからね。)姿が美しかったというのもある。お肌に張りがあり、お尻に吹き出物ができておらず、小柄だが程よくお腹が丸かった。私は、稽古が続く土俵上の関取衆に見惚れる一方で、土俵下の岩崎からも目が離せなかったのである。

 

お相撲さんのお腹に祈りたかった。支度部屋の前に臥牙丸と栃ノ心が並んで長いこと立っていて、ちょっと勇気を出せば二人とお話することもできたのに、何しろ相手は神様だから気安く声をかけるなんて私にはとてもできなかった。

そんなわけで当時まだ神様見習いだった幕下の岩崎にお願いしたのである。羽生ノートには「臥牙丸よりご利益は少ないだろうが」などと随分失礼なことが書いてある。赤面の至りとはこのことだ。

臥牙丸は糖尿病のせいで三段目まで番付を落としていることを、ついでに調べたWikiで知った。あの大きかったお腹が萎んでいると思うと悲しみでいっぱいになる。頑張れ、臥牙丸。

 

そして翔猿、頑張れ。あなたのお腹に置いた私のお手々にも、不思議な力があったのかもよ。羽生ノートの最後に「出世してね」と書いてある。ほら、私が祈ったら出世したでしょ?

もっともっと出世するように祈ってる。とりあえず今場所頑張れ。あと一勝で勝ち越しだ!

 

| 羽生まゆみ | - | 20:31 | - | -
ホン書きは続く

1組用台本『冬の家』が上がった。

本当は5月末が脱稿予定だったので、とんでもなく延びた。屈辱的である。

書き始めた頃は余裕綽々で、かなり呑気に構えていた。5月も半ばを過ぎた頃、不意に我に返った。

「ブートキャンプなんぞやっている場合じゃないぞ」

ピタリと筆が止まってしまい、苦しかった。

再び動き出したのは7月だった。動き出したら早かった。なーも頭を働かせなくてもポンポン物語が出てくる。あの空白の2ヶ月間はいったいなんだったのだろう。

「伝説」を題材にした。『レイニータウン』以来である。伝説をひねり出すのは面白い。伝説は大昔から伝わっているから伝説なのであって、今ひねり出したら伝説ではないのだが。だからこそ、それらしい雰囲気を醸し出さなくてはならず、その作業がとても楽しい。元々新作童話より伝承童話が好きだからね。

『レイニータウン』で背景として使った河童伝説はかなり凝っていた。あの、日影丸と闇夜丸の物語は自信作である。私がいっぱい書いてきた台本よりよほど面白い。そこそこ説教臭さもあって、まさに伝承説話な物語であった。

その点今回のは単純である。全国各地にある恩返し伝説の一つという設定で、「ありそーォ」というところを狙った。

1組の役者諸君、お楽しみに。途中弱気になって「書けない」とEricoに弱音を吐いたりもしたが、結局「やっぱり私だわ」と思う私であった。

 

さあ、2組『夏の家』だ。出だしはもう書いてある。出だしだけなら面白いのだが、今回もまた続きが一向に書けない。一回筆を止めると一生止まりそうな地獄モードに入る。書く時は一気に書かねばと、次回に向けて強く反省した次第である。

1組はオバイヴシリーズだが、2組の登場人物は今のところ人間だけの予定である(あくまでも予定)。オバケも精も妖怪もナシ。60代のオジサンたちだけで十分妖怪だからね。公演が延期になっているうちにソニーはもちろんトミーだって60代の仲間になるかもしれない。すると妖怪が4人だ! 小劇場では、集めようたってなかなかできない布陣である。

しかも4人ともタッパが割とそろっているし、お肉がたるんでいないし、お顔の見た目も悪くない。

演劇の神様が私に贈ってくれたプレゼントだと思っている。

しかしいくら何でも役者が70代に入る前には打ちたいものだ。

 

うかうかしていると誰か死ぬかもしれない。

 

| 羽生まゆみ | 2020玉組会議 | 22:20 | - | -
大いなる言い訳

7月19日の羽生ノート『モリエールの楽屋』は、麻理枝から「モリエールの悪口が過ぎる」と一部分削除要請があったので、麻理枝の要請を呑んだ。麻理枝が私に「削除すべし」と電話をかけてくるのは勇気のいることだったと思うし、麻理枝が「批判を受ける可能性がある」と言うからには正しいのだろうと、そこは信頼して従った。

そのあたりの私の対応、かつてのEricoへの大人げない態度とは大違いである。昔、Ericoが「削除!」と電話をかけてくるたびに私は激怒して、「なぜよ! 私は間違っておらん! Ericoのバカっ!」とわめいていたものだ。

「羽生さんが間違っていないのはわかっている。でも削除しなくてはならない」

誰かに迷惑をかけてはならぬということだ。

 

麻理枝には感謝しつつ、少し説明を試みてみようと思う。

せっかく削除したのにここで蒸し返してはなんにもならないのだが、最初にアップした文章の第一行目は、「モリエールのバカタレがやっちまった。」であった。これがいかんと言うので、この一行目とそのあと続く数行をカットした。その数行のうちモリエールの悪口は3行くらいで、実は悪口の量としては歌舞伎役者の尾上松縁に関することの方が多かった。一行目をカットしたら松録の悪口が立ってしまうし、文章としてもヘンテコリンになるので一緒にカットした。

言い訳すると、「モリエールのバカタレがやっちまった。」という書き出しは、「鋭く短い文を一行目に置いたうえで二行目を改行して衝撃を狙う」という使い古された作文手法だったのだが、今回の場合衝撃が強すぎて大失敗した良い例である。

「バカタレ」という悪い言葉遣いと、罪があるのは主催者なのにモリエールを批判したのが悪かったのだろうと、麻理枝と話しながら思った。

こんなことを書くとまた麻理枝やEricoに「削除!」と怒られそうだが、恐れずに言えば私はモリエールの罪はかなり重たいと思っている。松緑がいみじくも言ったように、主催者はシロートなのである。(松録の言うシロートには小劇場、つまり羽生一家玉組が入っているので、私の鼻孔は拳がずっぽり入るくらい大きく膨らんだ。それで松録の悪口を書いた。)

シロートを諫めるのはプロたる者の責務である。モリエールはプロではないのか。歌舞伎役者にシロートと侮られて悔しくはないのか。

ということが言いたかった。

 

「モリエールはいかん」と私が思う理由をちゃんと述べておけばよかった。書かなかったせいで「モリエールのバカタレ」だけが立ってしまい、このような騒ぎになったのだと思う。文章は難しい。

で、今日はその「文章」について言い訳することが主な目的である。

前回の羽生ノートの目的は、公演中止について触れることであった。少し前にHP上で中止の発表がされたからだ。私が知らんぷりしておくわけにはいかない。副題に『お詫びに代えて』とあるのはそのためである。

公演中止の原因はコロナだ。しかしそのことについて私はまだ思考が足りていない。思考する時間もエネルギーもなかった。なのに中途半端なまま「羽生の思うこと」を発表するのは、それこそ誤解が生ずる。

少し考えて、コロナ問題を起こしたモリエールの思い出を書こうと思った。「情景描写に気持ちを乗せる」といういつもの手法だ。現在アップされている楽屋シーンである。

さて、そこで削除した悪口3行に話は戻る。そこには楽屋のことが書かれてあった。つまり、私が思う「モリエールはいかん」理由は様々にあったのに、あえて楽屋の件を選んだのは、それをその後に描く「楽屋の思い出」の布石にしたかったからである。文章でも台本でも「構成」は命であると考える。

しかしその後に続く文章があまり立派じゃないので、布石があろうがなかろうがちっとも代わり映えしなかった。削除したことよりそっちの方がよほど残念だ。もっと上手に書けていたらこのようなことにはならなかったと、これは素直に思っている。

が、布石があればあの楽屋の思い出話がただの役者の悪口にならなかったこともまた確かである。

 

頭部分をカットした際、残りの文章に手は加えていない。(カッコ書きの部分だけ加筆した。主催者が悪いという内容。)

そして読み返してみても、モリエールの悪口なんぞ書いていない。役者の悪口がほとんどである。もっと楽しい文章にしたかったのに役者の悪口を書き始めると筆が止まらなくなるのだ。いつものことだ。

劇団草創期のモリエールへの郷愁を込めたつもりだったのだが、役者の悪口に燃えたせいで狙いが上手に出なかったのだと反省している。

しかし郷愁もわずかだが見える。モリエールへの愛さえ感じる。「コヤも含めて作品なんだ」なんて玉組の羽生に言ってもらえて、私がモリエールなら感涙にむせんだところだ。「でしょーっ」て言うね。

 

「バカタレ」についても言い訳しておきたい。私は「バカタレ」という言葉をしょっちゅう使う。「匡人のバカタレが」と300ぺんくらい書いたような気がする。「雅紀のバカタレ」も書いているかもしれない。バカタレには何がユーモラスな響きがある。私だけの思い込みなのかなあ。思い込みでもこういう言葉が私は好きだ。匡人のバカタレ、雅紀のバカタレと怒る時、私の心は少しホンワカする。

 

「こんな時代だから批判を受けやすい。羽生さんが批判されるのは嫌だ」

ありがとうね、麻理枝。これからも恐れず意見してね。

 

| 羽生まゆみ | - | 00:00 | - | -
モリエールの楽屋(お詫びに代えて)

モリエールがやっちまった。(もちろん一番の罪は主催者にあるが、こんなヒトタチ、私の知り合いでもなんでもないのでどうでもいい。)

それを知ったのは、私たちの公演中止発表について玉組会議のみんなと電話会議をしたときであった。

新宿の劇場でコロナが発生したらしいというので、いったいどこだと麻理枝に訊いたらモリエールだと言う。その時点での感染者は3人だか4人だかで、電話が終わってネットを覗いたら14人になっていた。

モリエールはその昔、小劇場のコヤとしてそれなりに一世を風靡した。Ericoなどもモリエールに立つのは憧れだったと言っていた。この頃ではもっぱら芸能事務所や吉本芸人が使っていて、もはや小劇場の殿堂ではなくなっている。それがどーのというわけではなく、ただ下北沢の劇場などとは風合いが違ってきたということだ。

玉組では5回使っている。劇団を揚げたばかりの頃に3回使って、そのあと下北に移り、再び戻っている。なんで戻ったのか理由は忘れた。戻って打った『地下室のダンディ』はモリエールにとてもよく似合っていて、コヤも含めて作品なんだとあらためて知った。

つまりモリエールの思い出はいっぱいだ。一つ一つのシーンが鮮明なのは、モリエールを使っていたのが劇団を成功させようと懸命だった頃だからだろう。

 

モリエールの楽屋については屈辱的な思い出がある。初代主演俳優の中神に丸椅子一個渡されて言われた。

「羽生さん、そこに座った方が役者たちがよく見渡せますよ」

たぶん化粧前の数より役者の数が多かったのだろう、私の化粧前を用意してもらえなかったのだ。

それはいい。よくないけどまあ我慢する。私が傷ついたのは、「役者たちがよく見渡せますよ」というおためごかしである。まるで私のためであるかのような言いっぷりは、大人が子供を納得させるときによく使う手である。

「あらマリエちゃんはピンクがとっても似合うのね。ピンクは可愛い子しか似合わないのよ。じゃ、このお洋服を買いましょう」

本当はピンクの方が黄色より安いからである。私は三歳児の頃からこういった大人のおためごかしを見抜いていた。別に傷つかなかったのは、自分が子供だということをちゃんと知っていたからである。

私は役者たちが顔をそろえた満座の楽屋で恥をかかされ、恥ずかしさに震えた。頭のいい役者ばっかだったので、私の屈辱を推し量ってさぞ居心地が悪かっただろう。いたたまれなかったに違いない。私の顔から急いで視線を逸らしたと思う。

もしこれが匡人なら、丸椅子を渡しながらこう言う。

「じゃまだからそこにポツンと座っておけ」

これなら私は傷つかない。

 

玉組の公演が中止になったことを、楽しみにしてくださっていたお客様と、キャスト・スタッフに心からお詫び申し上げる。本当に申し訳なかった。

また、2020玉組会議の面々には、この騒動に巻き込んでしまったことを特に詫びたい。ホン書きにかこつけて後始末をさせていることが心苦しい。あと少し、よろしく頼む。

2作品連続上演という私にとっても楽しみな企画だった。残念である。しかしこの状況では致し方ない。

悔しいからホンは上げる。ホン読みを目指して書く。

 

役者たちにお詫びと愛を伝えたら、役者たちからも愛が返ってきた。

鹿児島のゆかり(玉組の元演助。2トントラックの運転もする)からも愛を伝えるメールがきた。『双子の庭』で恋をして『23時のブランチ』で愛に変わったと書いてあった。

芝居の中止とは関係ないと思うが、匡人からも「一世紀に一度羽生さんが恋しくなる」とメールが来た。Ericoが激怒しそうなので言いたくないが、「私は常にあなたが恋しい」と返信した。

 

私はまだ頑張れると思う。

| 羽生まゆみ | 2020玉組会議 | 23:40 | - | -
パール二世

第一波は過ぎたようだ。なんとか生き延びた。まわりの知人友人演劇関係者たちも皆無事だったようである。良かった。

今後Withコロナだそうで、それがいったいどういう日々になるのか想像もつかないが、マスクの取り外しがかなり先になることだけは確かなようである。ちゃんと装着しておかないと、感染が怖い以上に肩身が狭い。

日本が諸外国に比べて被害が小さかったのは、この極めて日本的な「肩身が狭い」思想によるものではないかと思われる。似たような言葉で「世間を憚る」とか「面目が立たない」とかも良い日本語だなあと思う。

 

数十年ぶりにロバート・B・パーカーを読んでいる。スペンサーという私立探偵が主人公のハードボイルドである。

実はこのスペンサーシリーズは狛江市立図書館に日参していた1984年から1985年頃、まとめて読んだという鮮明な記憶がある。ネットで調べてみると、タイトルに記憶のある11作目『告別』の刊行が1985年で、1986年刊行の12作目『キャッツキルの鷲』以降にまったく覚えがないので、私の記憶がwikiによって裏打ちされた格好である。

パーカーは2010年に亡くなるまでエネルギッシュに書き続けたようで、スペンサーシリーズだけでも40作にのぼっている。つまり私が読んだのは初期の11冊にすぎないわけだ。なーんだ。

1985年以後、本屋さんで新作を見つけてもなぜ読まなかったかというと、実は主人公のスペンサーがあんまり好きではなかったからである。「もうこのあたりでいいや」って感じだったのだ。

どこが気に入らなかったのだと訊かれても困るのだが、あまりにも健康的で完璧なキャラに付いていけなくなったのかも。「アル中」とか「ヤク中」とか「暴力ふるいがち」とか、悩み多き探偵の方が好きという、あくまで好みの問題なのだろうと思う。

今回、記憶違いを一つ見つけた。恋人の名前である。私はてっきり、スペンサーの恋人はギター製作の仕事をしているロビンさんだと思い込んでいたのだが違った。スーザン・シルヴァマンという精神科医の美人だった。

そうだった。シルヴァマンだった。思い出した。

ではロビンさんはいったいどこの誰だ。わからん。

 

アメリカのミステリー作家というのは女性の好みがみんな一緒だとよく思う。美人で、豊かな長い髪で、背が高くて、ものすごく知的で、会話はウィットに富み、ハイレベルの職業についており、そして美しい足を持っている。「世間を憚る」なんて言葉は知りもしないし、また知る必要もない女達だ。

今読んでいる『背信』では、足以外にもスーザンの僧帽筋を美しいと誉めていた。「はいはい」てな感じである。なーんか面白くない。僧帽筋だよ? どこだよ、それ。

健康な探偵も不健康な探偵も、このような素晴らしい女性と深く愛し合っているところはだいたい一緒である。そんな二人が食事をしたり部屋で過ごす様子がちょいちょい物語の中に差し込まれるのだが、「このシーンいる?」とよく思う。

 

久しぶりだというのに面白くもなんともない、書評にもなっていない悪口を書いてしまった。ブスで、髪は刈上げの上に薄いのが悩みで、背が低くて、ウィットに富んだ会話どころか普通にさえ喋れない私の嫉妬心によるものである。ごめんなさい。

どうして突然こんなお話になったかというと、『背信』に、ジャーマン・ショートヘアード・ポインターが登場してうれしくなってしまったからである。

「知ってる!」と叫びたくなった。

そう、『シリウスあるいは犬の星』の歩太である。『シリウス〜』では、歩太が自分の名前について「血統書つきのドイツ犬なのにポタはないだろ」と愚痴るシーンがあるが、『背信』に登場するジャーマン〜はパール二世という名前であった。さすがである。歩太の愚痴を思い出して笑ってしまった。

 

歩太の独り言シーンは面白かったなあ。でも純一にはナイショだが、書いているときの方がもっと面白かった。

| 羽生まゆみ | - | 23:28 | - | -
巣ごもり

確かにスーパーが混んでいる。私も最近スーパーに行く回数が増えていたことを正直に告白する。深く反省し、さっそく「3日に1回にするよーに」という百合子たんの言いつけを守ることをここに誓うものである。

スーパーへ行く回数が増えていた理由は言うまでもない、この巣ごもりでさすがの私も料理をしないわけにはいかなくなったからである。

重たいものを持つのが大嫌いだ。そのせいで食料は肉でも野菜でもその日に必要な分しか買わないというのがこれまでの生活スタイルであった。毎日お料理をするわけではないので、余りもののタマネギを腐らせたり、ほったらかしのジャガイモから芽が出たなんてことになるのも嫌だった。(私はなぜか芽の出たジャガイモがものすごく恐い。)

今後は重たくても頑張って3日分の食材を運ぶ覚悟である。

疫病の終息までに私の料理の腕はかなり上がるものと思われる。私だってやらねばなならん時はやるのだ。

 

先日も書いたブートキャンプを真面目にやっている。久々に汗をかいていて気持ちが良い。やっぱり運動が好きなのだろう。

スタートして16日間。3日やって1回お休みのパターンが続いている。ちゃんとトレーニングウェアに着かえ、ウォームアップをしてからスタートする。これは芝居の稽古場と同じで、日常をずるずる引きずったままでは集中力が発揮されないからである。洋服もろとも日常を脱ぎ捨てることが大事だと考える。

ビリーの激に励まされながら頑張っているが、なかなかスピードについていけないのが悔しい。

「倍速でやるぞ! GO!」などど叫ばれても無理である。最初はやみくもに従ってしまい膝痛が出た。今は倍速シーンになってもそのままのスピードでやっている。セット数も同じで無理なものは無理。プッシュアップなんぞ「8セットだ!」と命じられるのだが、いやあ無理でしょ。5セット目からは無理せず膝つきでやっている。ビリーはどうせ私のことなど見ていないから「寝てるのか!」などと叱られることはない。一緒にやっている人たちはけっこう叱られていて面白いよ。シェリーだけはほめらている。

 

巣ごもりに入ってから身体がぽてんと緩んだのは確かである。

ただパワー系の種目をやっても衰えた感じはないので、筋肉そのものは減っていないと思う。脂肪が筋肉を覆い隠したせいで、このようなぽてんとした身体になってしまったのだろう。

脂肪を落とすために食べるのを我慢できたらよいのだが、これがなかなかむつかしい。ご飯は仏壇のお供えかっつーくらいちょびっとだし、アイスやスナック菓子はまったく食べていない。しかし豆大福や柏餅などの和菓子をどうしても我慢できない。「アンコは豆が原料だから身体に良いはず」という理屈によって「砂糖をたくさん使っている」という現実を覆い隠そうとしている。「ダイエットができない人は言い訳を考えるのがうまい」と何かで読んだことがあるが、まったくそのとおりである。

さあ、今夜もまた頑張るよ。昨日から腹筋編に入ってみた。腹筋運動が大嫌いなので恐る恐るだったがわりと楽しかった。

 

あんまり良い文章が書けないね。

読んでくれてありがとう。申し訳ないよ、まったく。

| 羽生まゆみ | - | 21:37 | - | -
猫は正義をわめかない

テレビをつけるとあっちでもこっちでも批判と文句の嵐で本当にうっとうしい。

いい大人がマスク2枚ごときを俎上に乗せて、あーでもないこーでもないと真面目な顔で悪口言っているのを見ると、あまりのバカバカしさにめまいがする。くれると言っているのだから素直に頂いておけばよろしい。頂いておいて必要なければ、欲しいとおっしゃるご近所の田中さんに差し上げなさい。

批判やら反省やらは、この疫病が終息したあとでたっぷりゆっくりやればよい。疫病に感染して本人も家族も大変なときに、病人に反省や謝罪を求めてどうする。誰かが病気になったら「お大事に」と言うのが礼儀というものだ。病人をベッドから引きずり出すのはならず者の所業である。軽率にもうっかり出歩いてしまった感染者と、このならず者に差異はない。好みから言うと私は後者の方が100倍好かん。

今回の件に限らず、何か事が起こると、正義面した輩がテレビの中を跳梁跋扈する。正義の人が正義を述べる。その正義が誰かを傷つけたとしても、それは正義だから許されると正義の人は思う。

まあ、意見を述べるために集められた人たちは「正義」を述べるしかないだろう。どこで世間の批判が自分に向かうかわからないから、とりあえず正義を述べておくのが一番無難である。その程度のバカタレな人々が、みんなであーだこーだわめいているのである。ただただうっとうしい。

この頃はにゃんこが外国の街を歩き回る番組に心が癒されている。猫は正義をわめかない。

あとBSで最近始まったコロンボとポワロのドラマも録画してまで観ている。ポワロの方は衣装や美術がとってもステキ。コロナ騒動が始まるまでは、ドラマよりニュース番組が大好きだったのにね。コロナ関係は百合子たんの記者会見を観るだけで充分である。

 

体重がついに5年前に戻った。そりゃそーだ。まったく運動していない。フィットネスクラブは当然ながら休業中である。ボクシングジムは休業していないようだが、私は2月の半ば頃からいっぺんも行っていない。

で、昔流行したビリーズブートキャンプのDVDを、家の者の「正気に戻れ」という声を無視して、Amazonで購入した。

自宅トレを特集していた『Tarzan』の最新号も買った。やっぱり家の者に「読むだけでは痩せない」と感じの悪いことを言われた。

ブートキャンプの方は入隊以来けっこう真面目に訓練している。早いテンポに遅れを取ってなるものかと負けず嫌いを発揮したせいで、しばらく調子の良かった左膝の痛みがぶり返したくらいである。けっこうハードで楽しいから、膝に気を付けながら頑張るよ。ビリー隊長の横でやっているシェリーっていう女がライバルだ。

 

玉組HPの扉、舞台美術の写真が『ロンググッドバイ』に変わったよ。照明がとってもきれい。登子さんの美術、伸一郎の照明でいつかまたやれることがあるのかなあと考えたら泣きそうになった。

12月の公演が疫病のせいで飛んだらもう無理だな。

| 羽生まゆみ | - | 20:50 | - | -
賛成! でいいじゃん

怒涛の如く更新していた2月から一転、すっかり書き込みがなくなったこのひと月。もちろんこれはホン書きに入ったからである。と言っても忙しいからではなく、ちっとも進んでいないのでブログを書く気にならなかったのだ。

さてそんな3月4月、世の中が恐ろしいことになっている。優太もEricoも、予定していた芝居の公演が飛んだ。まあ仕方がないと思う。稽古場にしろ劇場にしろ小さな密閉空間で、今日まで小劇場からの集団感染が発生していないことを奇跡のように感じる。(クドカンの稽古場は大丈夫だったのだろうか。役者やスタッフたちが無事ならよいが。)

12月の私たちの公演がどうなるか、今は考えたくない。とにかくホンは仕上げる。やれると信じて、私も制作陣も準備を進めている。けれど頭のどこかで、やれない場合もあることを考えておかねばならないし、覚悟もしておかねばならない。

私は普段すぐオタオタするし、気も小さいし、決断力がないし、傷つきやすいガラスの心臓の持ち主だが、なぜか大事の前では突然人が変わったように肝が据わる。「あ、今据わった」と自分でわかる。だから、決断が必要になったときの私を、あまり心配していない。正しく判断するだろう。

小劇場の公演など、人の命に比べれば取るに足らないものである。私の創る芝居など特にそうだ。

芝居は芸術であると同時に、ただの娯楽でもある。芸術と娯楽、どこで別れるかと言うと、創ったのが誰かで別れる。作った人が芸術家なら芸術だし、私が創れば娯楽である。

野田秀樹は当代随一の芸術家である。私もそう思うし、世間の折り紙付きだし、彼自身もそう思っている。

彼は政府から公演の自粛要請を受けたとき、「劇場の閉鎖は『演劇の死』を意味する」といった意見書をHPで発表した。これについてどう思うかは、今頃私が書くことでもない。賛成にしろ反対にしろ、世間の意見は様々に出ただろう。私の賛否は今更になる。

だから賛否ではなく、まったく関係ないことを少し。

私が嫌だったのは、この「演劇の死」といった抽象的な言葉である。すぐさま、やはり芸術家である平田オリザが「連帯する」と声明を出したが、これも嫌だった。芸術家たちが芸術家らしい言い回しで良い気分になっているとしか感じなかった。「そんな場合か」と言いたかった。

「閉鎖するべきではない」

「賛成!」

でいいじゃん。と、芸術家ではない凡庸な演出家は思ってしまったのだ。

 

誤解のないように言っておくが、私は野田さんが大好きである。私が会場係をやっていたある集まりで、野田夫妻をトイレにお連れしたのが、羽生一生の栄誉と思っているくらいのファンなのである。上京してすぐ、『夢の遊民社』を観たときは本当にうれしかった。今でも尊敬は増すばかりである。

正真正銘の芸術作品だと思っている。

ただなんだかさ、ちょっとばかり引っかかってしまったの。

平田さんの「連帯する」がなければそれほどでもなかったかもね。

| 羽生まゆみ | - | 22:10 | - | -
採火式を見た

春だ。暖かくて素晴らしい日よりである。自転車に乗っていたらドッと幸福感がこみ上げてきた。

疫病による暗い世情に、私たちは意識している以上に痛めつけられているのかもしれない。ちょっとした幸福が心に染みる。

昨日はギリシャでの聖火の採火式に泣きそうになった。

古代風衣装に身を包んだ女優さんがひとしきり長ゼリを喋った後で、一人目のギリシャ人ランナーに火を移す。ひざまずいたその女性ランナーが手にしているのはもちろん東京2020のトーチで、それを目にしたとたん感動のあまり涙がこみ上げてきた。

誰がデザインしたのか知らないが、なんて美しいトーチだろう。ニュースなどで見たとき時に興味も覚えなかったのを申し訳なく思った。ピンク色のトーチが美しくて胸がいっぱいになった。

オリンピックが中止になるかもしれないなんてこと、今は考えたくない。中止になったらなったでそのとき考えればいい。

桜の開花も今年に限っては格別だ。例年テレビで大騒ぎしている開花予想やら開花宣言などを、「ホント鬱陶しい」と思っていたのに、今年は桜の映像に感動する。たった一輪の可憐な姿が胸にこたえるのだ。

 

そんな中で、1組『冬の家(仮)』のホンを書き始めた。

そう、1組2組、同時進行で書くことにしたのだ。

本日書き始めた1組が地中海性気候になってしまったのは、もちろん昨日見た採火式の影響である。ニッポンの中に温暖湿潤な12月が出現した。

 

いつものように、風景はニッポンの中の外国である。お楽しみに。

| 羽生まゆみ | - | 15:17 | - | -
2つ連続

新しい情報がHPに上がったよ。

そう、今回は2作品を連続で上演する。同じ物語をキャストを変えてとかではない。正真正銘、まったく違う作品を創る。

大丈夫かなあ。ホン書けるかなあ。と、心配は尽きないが、私はやるよ。頑張る。陳腐な台詞だが、命を燃やして頑張る。

キャストは、1組がヤングチームで2組がオジサンチームになった。これは別に私がそう振り分けたわけではなく、役者の希望でこうなった。この組み分けはかなり面白い。

役者たちのことはここでもおいおい書いていく。

ちなみにクレジットの順番は1組が若い順。2組が年上から。

2組のEricoが下から2番目でビックリだ。トミーだって若い方だ。小劇場ではありえない座組である。乞うご期待。

 

みんな、私のオファーを快く受けてくれてありがとう。オファー開始から今日まで、役者達の「やる気」が私にたくさんの力をくれた。良いホンを書く。役者が喜ぶような。とにかく今は、それが私の仕事だ。

 

取り急ぎ書き込んだ。

玉組のお客様にまず報告を。

 

 

 

| 羽生まゆみ | 2020玉組会議 | 00:13 | - | -
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