羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
眦沈酩屋

貴ノ岩はバカだ。というほかない。本当に情けない。こんなバカな相撲取りから日馬富士は引退に追い込まれたのだと思うと悔しくてしかたない。

貴ノ岩が日馬富士の後を追うように引退を決めて、私は当然だと思ったが、どうにも空気が「潔い引退」になっていて面白くない。

部屋の親方も理事長も思いとどまらせようとしたらしい。これを聞いて親方たちもバカだと思った。危機感がまるでない。

相撲協会は親方衆で理事を占めるをやめた方がよい。親方らも弟子と同じように相撲という偏った世界しか知らないし、テレビとゲームで頭がバカになっているから、まともな日本語で物が考えられないのだろう。

このままでは本当に大相撲は消滅してしまう。

 

この騒ぎの真っ直中、TVで眦沈酩屋のレポをやっていた。ありがちな「ちゃんこ鍋」の取材だったから稽古の様子はチラッとしか見ることはできなかったが、HPでしか知らない眦沈酩屋を覗くことができて嬉しかった。

親方がけっこう喋っていて、現役時代の関脇安芸乃島を知っている私など呆然としてしまう。なにしろ喋らないお相撲さんだった。この頃の若い関取はインタビュールームに呼ばれるとにっこにこでよく喋るが、昔の関取はにこりともしなかったものだ。特に安芸乃島は笑うどころか、うんともすんともで、何を訊かれてもただ突っ立っているだけだった。これが可笑しくて、彼がインタビュールームに現れるたびに安芸乃島ファンは大喜びだった。

引退して親方になったとき、インタビューに答えて「昔の匂いがするお相撲さんを育てたい」と言ったのをよく覚えている。すばらしい台詞だと思った。

眦沈酩屋には現在3人の関取が居る。親方の言葉どおり、昔の匂いがするお相撲さんだ。輝と竜電と白鷹山。三人とも、中卒の叩き上げである。爆発的に強いわけではないけれど、お相撲さんだった頃の親方と同じく、良いお相撲さんだと思う。

 

結局、良いお相撲さんになるかならないかは、親方しだいだと思う。それが言いたくて今日はお相撲のことを書いた。

相撲部屋の番組は時々見るが、親方が弟子に気を遣っている光景は見ていて悲しい。そんな部屋をしょっちゅう見かける。

すぐにでも横綱になりそうだった逸ノ城がダメダメちゃんなのも、親方が甘やかしているからだ。TVを観ながら「好きなもんだけ食わせていたらダメだろ!」と3回くらい叫んだ。

 

私も役者に気を遣って大変である。ヘコヘコしている。

でも次の稽古場はヘコヘコしないぞ。

匡人と『オバケのイヴイヴ』で距離が縮まったように、純一と『シリウス〜』でもっと話ができるようになればいいなあと思っている。純一から夜中に電話がかかってきて、「あそこの羽生さんのダメは違うと思う」なんて言われたらたまらんね。

役者二人は今、すでにボイトレと歌の稽古を始めている。先だってスマホで歌声を聴いたが、純一が良い声なので笑ってしまった。何度聴いても爆笑する。良い声だとなぜ可笑しいんだろう。

3場を書き終えた。残すは4場のみ。楽勝である。

純一の良い声の長ゼリに期待している。

| 羽生まゆみ | - | 23:41 | - | -
ホンと戦い、感傷と戦う

15時間PCの前に座り続けて、10行の長ゼリぶんだけ進んだ。10行をAさんに向って喋るかBさんに向って喋るか悩んでいるうちに15時間経ってしまった。

こういうのは必要な時間だから悔いはないが、予定通りに進まなかったのは痛い。3場まで進む勘定だったのに2場終わりまでしか行きつかなかった。また稽古初日を後ろにずらしたくなったが、もうEricoに言えない。

 

ずっと座り続けていると腰に悪い。時々立ち上がって伸ばさねばいかんとわかっているのについ忘れる。

26日にトレーニングスタジオを退会したので、もう6日間、なーんにも運動していない。身体がやばい。心もやばい。不安感に押しつぶされそうになる。落ち着くまで運動は休もうと思っていたのだが、すぐにでも何か始めなければいかん。

かと言って筋トレのパーソナルレッスンは2度とやらない。私にとってモヒカントレーナーは唯一無二のトレーナーだったので他ではやらない覚悟だ。

私をよく知っている人には想像できるとおり、私は今、感傷と戦っている。ホン書きのさなか、感傷に浸っている場合ではないので大変だ。退会したいと当日に告白したのも、前もって言ったら退会日までの期間、どっぷり感傷に陥りそうだったからである。やめるその日まで、いつものようにトレーニングして、いつものように喧嘩したかった。

結局やめてから、どっぷりたっぷり感傷的になったけど。

 

退会翌日、準備してあった12月分の会費を投入して、それでも足りないくらい上等な腕時計を買った。いつもしていたスポーツウォッチのベルトが壊れたので、良い機会だと思ったのだ。そういえばこれをつけて走ったのも数えるほどだったなあと思ったら、なお一層の感傷が込み上げてきた。

とにかく、筋トレも、走ることも、ついに終わった。

 

楽しくて刺激的な、4年と5ヶ月だった。

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 18:09 | - | -
ふて腐れてはいかんのよ

急に寒くなった。

私はどこへも行かず、ストーブを傍らに置いてホン書きである。

やばい、めっちゃ楽しい。新作は久々で楽しいぞ。前回の『サンタクロース〜』は再演だったからほとんど書いていない。頭を使ったのは雅紀と研のシーンくらいだけだったからね。

私はもっと書くことに力を注がねばいかん。今回の公演が終わってもナマケモノに戻らず、頑張って書くことに注力しよう。

そう、私はとんでもなくナマケモノになっていた。これから死ぬまでの間は堂々とダラダラしようと居直っていた。ホンについても芝居についても劇団についても、もうすっかりどうでもいい気分だったのだ。たっぷりふて腐れていた。

 

などと反省しながらふと気付けば、今年もあとひと月ではないか。

そういえばピンクノイズの公演は打たずに終わった。年頭に送られてきた年間スケジュールでは3本くらい公演予定が入っていて「こりゃ大変だ」と思ったのだが、夏あたりのメールを最後にとんと梨のつぶてである。

「劇団を立ち上げたので演出として参加してほしい」と依頼を受けたときは二つ返事で了承した。

劇団の旗揚げに立ち会えるなんて、なんと素晴らしいことだろうと思った。玉組を立ち上げた頃のあのめくるめくような日々をもう一度味わえるのだと思うとわくわくした。私の残りの時間を若い役者らに捧げて悔いはないと思った。

退団者が出たと、たまに情報が入ってきていた。一回も稽古しないまま、私の顔も知らず去りゆく役者たち。

一日も早く劇場を押さえて、旗揚げ公演を打つべきだったのだ。そのことを、もっと強く劇団に進言するべきだったと後悔している。一度、私に稽古場をまかせてほしかった。

一度の稽古場で役者を上手な役者にすることはできない。

しかし私は役者に、役者としての心構えを教えることはできただろう。

これがデビューなら、心に突き刺さる初舞台にしてやれただろう。

旗揚げのさらに向こう、第二回公演を見据えて努力しただろう。

私のような演出家はなかなか出会えないよ、菅原くん。私はお金も名誉も何もいらないのに。ほしいのは、役者たちと過ごす板張りの稽古場だけだ。

 

まだ、ピンクノイズの演出だと思っている。いまや劇団としての体をなしていない玉組の演出であるように。

私は、一度決めたことに関してはしつこいのだ。

 

| 羽生まゆみ | - | 05:17 | - | -
シリウス、あるいは犬の星

良いお天気だ。秋が11月にずれ込んで、今年の11月は素晴らしいことになっている。

時々息抜きにベランダから多摩丘陵の紅葉を楽しむほかは、15日16日の2日間はPCの前からほとんど離れずホン書きに集中した。お腹も空かないほど没頭して、ついに一場を書き上げた。おおよそのストーリーも、ラストシーンも見えた。

ずっと書けずに鬱々としていたから開放感たらないね。私の日常は鬱々と晴ればれの繰り返しだ。鬱々も極端だし晴ればれも極端だ。本当はちょっと書けたくらいで調子に乗ってはいかんのだ。羽生ノートで自慢するとたいがい再び書けなくなる。

 

ライブハウスでやる1時間の二人芝居だから軽めのものをと思っていたが、結局重たい。いつもと変わらない本格的なミステリーファンタジーになりそうである。

タイトルは『シリウス、あるいは犬の星』。なーんか聞いたことのあるタイトルのような気がしてEricoやまりえに頼んで調べてもらった。「ない」とのこと。もし何か出てきたらEricoとまりえのせいだから。盗作だなんて言われたら屈辱で生きていられない。

私もネットで調べたがマルキ・ド・サドの小説のタイトルに「あるいは」がやたら出てくるらしい。

で、サドについてさらに調べを進めてみると、確かに、読んだことはなくてもたいがいの人が存在を知っている『悪徳の栄え』は正式な題が『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』だったし、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』なんてのもある。

『ソドム百二十日』は『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』とのこと。なんだよ淫蕩学校って。びっくりする。

まあこれなら大丈夫だろう。真似したとは思われまい。

第一サドファンはサドの話をするとき「悪徳」とか「ソドム」とか言っている。まさかの「あるいは」とは、ヘンタイサドグループだって衝撃の新情報である。(ごめんなさい。知らなかったのは私だけだって可能性はおおいにある)

話がそれた。私の「あるいは」は淫蕩でもなんでもない。ご要望があるならそんなシーンを書いてもいいが誰も望まないだろう。Ericoと純一は特に望まないと思う。

 

まだ一場を書いただけだからね。

なのになぜこれほどご機嫌かというと、すでにオチやドンデンも思いついちゃったからである。一場を書いている間に思いついちゃった。タイトルだけだったのに。なーんにもなかったのに。これでは自慢せずにいられない。自慢すると書けなくなるというお馴染みのジンクスを背負ってでも自慢したい。

なにしろつい一週間前、この時点でホンは「屋根裏部屋。1970年ごろのグッズが雑然と散らかっている」という場所説明のト書きしか書かれていなかった。

このままでは稽古初日に間に合わないと思い、Ericoにメールした。

「なんなら稽古、年明けからでもいいよ」

Ericoからの返信は、

「本気で言ってます?」

本気も本気大本気だったが言えなかった。

で、誇り高い私の返信は少々冗談めかしたものになった。

「今この瞬間は本気」

「じゃ大丈夫だ。書けるから」

私は小さく肩を落とし、それから「たぶん」という返事を返した。精一杯の虚勢であった。

15日午前中にも「12月の稽古はなるたけ遅めに」なんていう未練がましいメールを送っているからよほど切羽詰まっていたに違いない。調子が出てきたのはこの日の夜からだったのだろう。

本気で、私はもう書けなくなったのだと思った。つかさんが晩年に新作を書かなかったように、劇作家はみんな年をとると書けなくなるんだと思った。

あー良かった。怖いよなあ。怖かったよォ。

 

さて純一、3曲歌うから死ぬほど頑張れよ。

| 羽生まゆみ | シリウス、あるいは犬の星 | 23:41 | - | -
ゴリラの大胸筋、私の広背筋(体幹トレ日記99)

名古屋の東山動物園にゴリラを観に行って来た。それのみが目的の名古屋行だったから、新幹線代とホテル代を考えたらそりゃあもう高額な見物料であった。本来ゴリラ一匹に支払う金額ではない。

しかし悔いはない。お見事なゴリラだった。

名前をシャバーニと言う。体重190キロ。すばらしい筋肉をまとい、特に胸板の厚さと割れた腹筋に目まいがする。

肉体だけでなく、お顔がまた立派なのである。こんな男前、人間にだってめったにお目にかかれるものではない。精悍で美しい。

同じ190キロなら、幕内力士千代丸より男前なのは確かである。(それにしてもゴリラと同体重とは! すばらしいね、お相撲さんて)

 

猿の筋肉の話をしている場合ではない。私の筋肉である。

つい先だっても書いたが、若い女の子が「腕が太くなるから筋トレはちょっと」と口にするのをちょいちょい聞く。

その度に私は心の中で毒づく。

「いっぺん太くなるまでやってみなさいよ。あなたにはずえったい無理だから」

吐くほどトレーニングしても私の腕は丸太にならないのに。あー丸太になりたい。

このようにこの頃では筋トレの悪口を言われると芝居の悪口を言われるより悔しい。

前回のトレーニングで耳から血が噴き出そうな悪口を聞いた。

トレーナーがある会員さんに私の背中の写真を見せたところ、「こんなふうにはなりたくない」と言ったのだそうだ。

そしてこの私の背中から「負けず嫌いがわかる」とのこと。

憮然となったね。

いったい私が誰と戦っていると言うのか。私の何を知っていると言うのか。なぜ上から目線なのかもわからない。

こういう侮辱を許しているトレーナーにも不満である。私への侮辱は指導しているあなたへの侮辱だとは思わないの?

と、そんなことを言ってやりたいとトレーニングの間じゅうずーっと思っていたが、ゲロゲロハアハア状態で上手な悪態がまとまらず断念した。残念である。

 

まったく大人げないなあ。確かにバカバカしいほど負けず嫌いだ。顔も知らない相手と喧嘩している。

しかし私が本当は誰と戦っているか、誰も知るはずがない。誰も。

負けるもんか。怒って、戦って、書く。

たぶん、死ぬまでそれが続く。

そうありたいと、願う。

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 02:35 | - | -
激しい人(体幹トレ日記98)

一夜明けて激しい筋肉痛。昨日のトレーニングもオーナーと一緒だった。

昨日は楽しかった。うふっ。トレーナーにあんまり怒られなかったし。うふふっ、である。

オーナーはここ最近身体作りに気合いが入っているようだ。ヒロの指導で筋トレをやる他に、有酸素系のスタジオに週3回通っている。よくわからんが暗闇の中でボクシングしたりバーピージャンプしたりして死ぬほどハアハアなるらしい。自分の経営するスタジオがあるのにわざわざ他のところに行くのはやっぱり刺激や新鮮さを求めてのことだろうか。気持ちがわからないではないが、私はできたら、こっちで私と一緒に週3回トレーニングしてほしいところだ。そうなると最早パーソナルではないがどうでもいい。

オーナーはマラソンの人だから、トレーニングの目的のほとんどは「早く走るため」なのだろう。そういえば私はもうずっと外を走っていないなあ。あんなに楽しかったのに、少し寂しい。

走っていたシーンを思い出すたびにリュードのことを、胸の痛さを伴って懐かしむ。

 

オーナーにあちらのスタジオの様子を訊くのは遠慮している。こちらに移った私が詮索がましい発言をするのは違うと思うから。

でもこれだけは言っておきたいが、私は自分から裏切ったわけではないよ。オーナーとヒロの誘いがあったからだ。私の方から「あっちへ行きたい」などとは、私の性格上、口が裂けても言えなかったと思う。

二人が、今頃になって誘ったことを後悔しているとしても知ったことではない。私が「面倒くさい客」であることは、前から知っていたはずだからね。それとも面倒くさい客だから、オーナーがヒロに引き取らせたのだろうか? 

可能性はおおいにある。

 

で、私は自虐的に言った。

「じゃあ私がやめてあちらのみなさんは喜んでいるね」

するとヒロが言った。

「アキは激しいトレーニングが好きだからちょっとは残念なんじゃないか」

うふっ。少し気分がいい。つまりあちらでは私が一番激しかったということだ。

ところがオーナーが言った。

「ひとり激しい人がいるから大丈夫」

ナヌ? 私の負けず嫌いが鎌首をもたげる。

オーナーは言った。

「羽生さんほどじゃないけどね」

ホッとひと安心。ところがヒロが私を絶望のどん底に突き落とした。

「こっちも最近羽生さん並みに激しくやる人ができた」

ナヌナヌ? 知らんかった。油断していた。いったい何者だ。

どうやら男性会員であるらしい。男子と聞いていくらか安心するがそれでも悔しいことに変わりはない。きっとベンチやっているんだわ。ベンチやっていると聞くとめっちゃ悔しい。この頃私は重たい物はあんまり持たせてもらえない。

 

そんなわけで頑張った。いろんな種目をオーナーと1セット交替でやっていく。

相変わらずオーナーはいっぱいほめられる。オーナーがやる時は私に、

「羽生さんより上手い」

私がやる時はオーナーに、

「ほら、羽生さんの場合、ここが反っているでしょ。これだと効いていない」

オーナーは「ふんふん、なるほど」と、すっごい参考にしていた。なんだよっ、私を悪い見本にするな! 反っているならとっとと真っ直ぐにしてくれ!

チンニングの時もオーナーはほめられていた。

「最近背中が大きくなりましたね」

私はすかさず訊いた。

「私は?」

「変わらない」

「私も大きくなりたいのですが」

「大きくなるより現状維持を考えろ」

「‥‥‥」

ぐやじい。現状維持なんかイヤだ。できるだけムキムキになりたい。「腕が太くなるから筋トレはヤだ〜ん」などとのたまうナメた小娘と一緒にするんじゃないぞ。

丸太のような腕が欲しい、と言っておく。

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 23:58 | - | -
テンアゲ

二人芝居の会場となるライブハウスを見学してきた。

装置を立てられないし大きな道具も入れられないので、どうやって「部屋」にするかが問題だ。床に何か敷くことができればありがたいが良いアイデアはとんと浮かばない。まあいいや、「敷きたい」とぶつぶつ言っていれば誰かが何か敷いてくれるだろう。

とりあえず、場所として考えていた「元炭焼小屋」は雰囲気の問題からナシにした。屋根裏部屋にする。

登場人物二人の設定はもう決まっている。まだナイショだけど、かなり突飛な設定である。しかし二人芝居は突飛なくらいでちょうどいいというのが自論である。ただでさえ二人芝居はワタシとアナタの会話がダラダラ続きがちだ。やり方を間違うと「ダラダラから抜け出せない地獄」に堕ちる危険がある。私の芝居は長ゼリが多いし、ダラダラしたらオシマイである。

コヤを見たらスイッチが入った。ふと気づくとEricoと純一が頭の中で勝手に会話している。道を歩いているときや食器を洗っているときやなんかにね。

その会話がそのまま台詞になるわけではないのだが(もちろんなる場合もある)、会話によって二人が、二人の関係や状況や過去の出来事などを断片的に私に教えてくれるのである。会話ではなく「絵」が浮かび上がることもある。私は矛盾を排除しながら断片を繋いでいくだけである。簡単だ。

 

おーっし、テンション高いぞ。最近覚えた「テンアゲ」というやつだ。楽しくなってきた。

 

いつもの「昭和歌謡」シーンを創ることにした。会場がライブハウスなのに歌わないテはない。純一が歌えるかどうか知らん。『狐の姫〜』で何か歌っていたような気がするが忘れた。

デュエット曲や、コーラスのある曲を探していたら、Ericoがピンキーとキラーズを挙げた。『恋の季節』だ。これはかっこいいぞ。しかしピンキーとキラーになってしまう。

「じゃあ、次にとっておきますか?」

玉組の次回公演? 私の中で何かが湧き起こった。キラーズを探した。出るわ出るわ、心当たりがたんと出る。

私が指折り数え終わったとき、Ericoは言った。

「千歳が泣きますよ」

あっ、千歳を忘れていた。

そんなわけで私のテンアゲな頭は二人芝居を通り越してキラーズの芝居に飛ぶのであった。

犯罪者が登場する芝居はしばしば書いてきたが、たいがいチンピラ系であった。いよいよ殺し屋かと思うと心が躍る。

再来年、打つかなあ。『恋の季節』がやりたいばっかりに? そんな安易なことでいいのかな。

高性能ライフルが10本揃えられるだろうか。なんならマシンガンでもいいぞ。

 

やばい、具体的になってきた。

| 羽生まゆみ | - | 23:46 | - | -
サラサラしていたら(体幹トレ日記97)

ここ数週間のトレーニング、毎回40分近くをミット打ちに費やしている。太ったのがバレたからである。つい体重を告白してしまったのが失敗だった。ほとんどインターバルをいただけない地獄のミット打ちである。最後の〆は腹筋運動。お腹の上に砂の入ったボールを落とされたりする。ボクサーがやっている例のアレだ。あー楽し。

なのでお腹にくっきり2本の筋がよみがえった。簡単だね。(下腹はまだポテポテだけど)

そんなわけで気持ちはボクサーである。だから先だっての井上尚弥の試合もお勉強させてもらおうと、緊張しつつゴングを待っていた。

ゴングが鳴った。

「そうだ、コーヒーを飲もう」

カップにインスタントコーヒーをサラサラ入れている間に試合が終わってしまった。戻ったら、相手選手がリングに伸びており、井上が落ち着いた表情でテンカウントを聞いていた。

なんだよーっ。全然お勉強していないじゃないか。どうしてゴングと同時にコーヒーが飲みたくなったのかわからない。

KOシーンが繰り返し映し出された。なにがなんだかわからなくてやっぱりお勉強にはならなかった。

相手選手が垂直後ろ倒れして、むしろそっちの方に目が釘付けであった。昔、暗黒舞踏系の方々が、踊っている最中に白目むいて倒れていたのと同じ倒れ方だった。久々に見た。

 

早くリングに、じゃなくてスタジオに戻りたい。ここ一週間、私はお休みなのだ。お腹の筋がまた消えるんじゃないかと心配だ。

このところもう一つ気持ちが盛り上がらない。前回はオーナーと一緒のトレーニングだったので復活するかと期待したが、これもかつてのようには気持ちが弾まなかった。昔は三人でトレーニングするのが楽しかったんだけどなあ。

「二人で楽しくやってれば? どうして私がいるの?」てな感じのイジケた一時間だった。オーナーの前でトレーナーに侮辱されるのが、誇り高い私を傷付けたのだ。人前で侮辱されるのが一番腹立つ。

どうもいかんね。でも気を取り直して努力しなければ。トレーナーのダメが侮辱ばかりで気持の良い檄が飛ばない今、自分で自分を奮い立たせるほかはない。次回はこれまで以上に鋭いパンチをミットに叩き込んで、トレーナーを垂直後ろ倒れさせてやる。

返り討ちに遭うのは覚悟の上だ。この前など、私のガードが甘いと怒って、チョイとミットで肩を押されたら吹っ飛んだ。オヨヨと倒れ込んだ私はその姿のまま恨めし気にトレーナーを見上げたね。ミットをはめた貫一とグローブをはめたお宮であった。ここは熱海の海岸かっ。

 

気合いを入れよう。気合いが頼りだ。トレーナーからもオーナーからも「羽生さんは根性だけ」と言われるが、その根性がなければそもそもこんなきついことが続くわけないではないか。

これだけ続けて進歩がないとすれば(実際、ないのだけど。85才のおばあさんにも負けているらしい)、あとはもう才能の領域である。やめて別のことに目を向けてみるのも、別の才能を探すのもアリなのかもしれないと考えたりもする。

水泳でシニアレコードを出す可能性がないではない。100メートル走はどうだろう? リュードの指導で坂道ダッシュをしたとき、私は確かに風を切っていた。

このように、考え始めると(トレーニングのことに限らず)深く重く沈み込んでいくのが私の特徴である。

いかんいかん。これだから休みは嫌いだ。気持ちが切れる。ずんばも書道も一回休むと次回行く気が薄れる。芝居の稽古は休んだことがないからわからんが。

 

木曜日に名古屋方面の動物園にゴリラを見にいく。それでまた元気になるぞ。

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 23:29 | - | -
トミーと純一と優太と、三人の伯母

トミーと純一と優太がいっぺんに三人そろった舞台があったので観に行ってきた。同伴はEricoとKAZUHOである。

三人は偶然の共演だったようで、小劇場界の狭さをあらためて感じる。

 

さて芝居である。灯りが入ったらいきなり純一が女の子と喋っていた。笑いそうになった。KAZUHOも掲示板に笑ったと書いてあったし、Ericoもたぶん笑ったんじゃないかと思う。別に悪い意味じゃないよ。ただわけもなく可笑しかったのだ。恥ずかしいやら嬉しいやらのヘンヘンテコな気分。親戚の子の発表会に出席した伯母さんの心持ちといったところか。

当然この瞬間は純一が主役に違いないと思った。ところがだんだん情けない役柄になってゆき、劇団をやめるとかやめないとか(役者の役だったからね)ウダウダ言い出して本気で腹が立った。私は同様のことでかなり痛い目に遭っているので、芝居とはいえ呑気にしていられないのである。

でも純一は台詞はいっぱいあった。優太なんか台詞がほとんど無いのだもの。まったく私の役者をなんて使い方してくれるんだと、私のご機嫌はかなり斜めったね。しかもやっと3行以上の台詞が来たと思ったら噛むし。私は客席で堂々と「噛んだ」とダメ出ししてやった。

昼間優太から「お待ちしていますメール」が来たので「噛むなよ」と返信しておいた。「お待ちしていますメール」に「噛むなよ」と返信すると大概の役者はビビるからチョー面白いのである。

ところが優太は「はーい!」と呑気な返信で、私は「あら、割と自信あり。つまんない」と思った。

その話を観劇前にEricoにしたら「優太は噛まないから」と絶大の信頼であった。

でも噛んだ。ま、こんなもんだ。

トミーはいつもながらの「悪い人」の役であった。今回の演出家の芝居を観るのは2度目だが、前回もスーツを着た悪い人の役だった。すでにすっかり板についており、安定の「悪い人」であった。

そういえば私の芝居でも悪い人をやったことがある。「午前2時〜」で悪い雑誌記者の役をやった。私の知人が「あんな悪い人は見たことがない。ひどすぎる。出てくるたびに腹が立った」と、芝居を観るのが初めてだったせいか役を飛び越えてトミー批判になっており大変困った。トミー自身はこの世にこんないい人は居ないってなくらいいい人である。

 

私の役者が三人も出ていたのでめずらしく観劇ネタを書いた。

EricoやKAZUHOも含めて役者達の顔を見られるのは嬉しい。気持ちがほんわかする。自分が演出家だということも思い出す。

そうそう、Ericoの依頼で純一とEricoの二人芝居を創るよ。来年2月に神田のライブハウスで3日間。詳細はいずれEricoから発表があると思うので私はこのくらいで。

というわけで今日は純一の芝居を客観的に観ることができて良かった。

さあ、そろそろ書き始めねば。

| 羽生まゆみ | - | 00:05 | - | -
青を刺すと書いて入れ墨と読む

世間が彫りもんの話題でにぎやかである。パパになった若い芸能人が彫物を入れて、それを批判したら今度は批判した人が批判されて大騒ぎ、てな構図である。にぎやかなのはよいが、なんだかハナシが人権問題になっているのが気にかかる。

入れ墨は各個人の「嗜好」の問題だからそもそも批判するのはおかしい。彫物を入れたからと言って他人にとやかく言われる筋合いはないのである。しかしその批判を「人権問題」にするのはものすごく的外れだと思う。つまり「入れ墨を入れた人を差別するのはよくない」という「良い意見」のことである。

入れ墨批判を、人種差別や身障者差別といっしょくたにするのは違うだろと思うのだ。そんな大そうなことではない。そもそもその多く、特にアウトサイダーの皆さまにおける入れ墨は、差別されたいがため自ら入れるものである。差別されたくて入れているのだ。

 

彫物が嫌いな人に理屈はないのだ。ただ単に嫌いなだけだ。

私の知り合いにピアスの穴を見るとゾッとするという人が居る。彫物もそれとおんなじようなことだと思う。彫物を見るとゾッとするだけで、そこに理屈はない。

私はピアスの穴が二つあり、近く三つ目を開けるつもりの人だが、「ゾッとする」と言われたときに「なるほどなあ、そういうものか。そういうふうに感じる気持ちはわかる」と納得したものだ。理屈ではないのだ。その人が穴を見るとゾッとするんだから仕方ないではないか。そのことについて私が「ゾッとするのはおかしい」と理屈を言ってみてもはじまらない。

 

では私が彫物を好きか嫌いかと問われれば、これはなかなか返答がむつかしい。

私はヤクザの紋々が大好きである。『ロンググッドバイ』の主人公二人にも背負わせたくらいで、ホンを書くときはネットを駆使して写真を見まくった。背中からお尻までびっしり彫られた紋々に、わくわくはしてもゾッとはしなかった。図柄に付けられた「抱き鯉 金太郎」なんていうタイトルは、私の創作意欲をおおいに刺激してくれたものである。

ところがである。現代の現実において、前方を歩いている男の子のふくらはぎに有刺鉄線が巻き付いていたり、女の子のむき出しの肩に蝶が止まっているのを見るとゾッとするのである。ごしごし洗ってサッパリさせたくなる。

ヤクザと男の子の差が何なのかはわからない。彫ってある「場所」の問題なのか「図柄」の問題なのか。

でも私は有刺鉄線の男の子やチョウチョの女の子と知り合ってお話すれば大好きになる自信がある。第一印象が悪いことは認めざるを得ないが、私はやんちゃな若い子は好きだし、その子のことが好きになれば有刺鉄線もきっと好きになる。

そして「できればそんなものは彫らない方がよかった」と、静かに説教するだろう。

 

第一印象が悪くなるリスクを、ゾッとする人が居るということを、彫物を入れた方々は寛容に受け止めなくてはならない。それが大人の佇まいってもんである。芸能人ならなおさら、批判に傷つきムキになって反論してはいけない。人権を持ち出してはならない。愛と決意のために彫ったのなら、黙って耐えてこそ、それは重みも増すというものだ。

私はDU PUMPの一茶が大好きである。彼の腕にびっしり彫物がほどこされていても私の愛は変わらない。

けれど、TVの画面に彼の彫物が映ると、私は一瞬視線を逸らしてしまう。それは理屈ではない。そういう人が居るということだ。たくさん居るということだ。

時代ものの小説を読んでいて、登場する粋な江戸っ子、たとえば飛脚や鳶や町火消が紋々を背負っていると私のテンションは上がる。日本の入れ墨は青を刺して描かれる。細かいルールと神業のような技法がある。

 

ゾッとはする。怖い。それでも、立ち昇る伝統や文化や芸術の匂いと物語に、私の胸は躍る。

| 羽生まゆみ | - | 00:25 | - | -
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