羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
今日のできごと

Ericoからお茶のお誘いがあって少しビビった。なにしろわざわざトレーニングスタジオの近くまで出張ってきた。もしかしたらまた良くないお話なのかもしれない。役者のお話の80%が良くないお話である。

なんてことなかった。突然ヒマができたらしい。役者からの呼び出しやらお電話にびくつくのはいいかげんやめたいものだ。

 

よかったよまったく。私はこのところ、置いてけぼりの子犬のように元気がないのだ。これ以上弱りたくない。

体調がもう一つである。右側のお尻が痛い。しかも足がしびれる。どうやら坐骨神経痛らしい。ある朝、目覚めたら突然なっていた。生まれたての子鹿のように足が立たなかった。びっくりした。

病院に行ったら「原因は加齢」だとさ。膝痛のときも肩痛のときも「原因は加齢」と言われた。なんだよ加齢って。加齢と言えば私が納得すると思ったら大間違いである。絶対に認めないぞ。

今日はついに、一生黙っている覚悟だったモヒカントレーナーにまで尻痛を告白するはめになった。だってごまかしようがないくらいトレーニングがダメダメだったのだ。トレーニングがダメダメだと一番へこたれる。つい告白してしまったの身体より心が弱っていたせいだ。

このままジャンプが思い切りできなかったり、長い時間走れなかったり、できない腹筋がますますできなくなったらどうしようと不安はつのる。トレーニングに関してはほとんど脅迫神経症で、「休む」ことや「手を抜く」ことを考えただけで気持ちが沈む。(私はバレエダンサーかっ)

負けないぞっ。必ず治してやる。こういうときこそ鍛えた筋肉が物を言うはずだ。

 

気持がほんわかすることもあった。

『サンタクロース〜』のDVDを観た優太のママから素敵なお手紙をいただいたのだ。

私はよく役者たちに、「ご両親に観てもらえ」と言う。小劇場という、なんだかよくわからないことをやっている息子や娘を、ママが心配していないわけがない。私の芝居はそんなママたちに少しの安心を差し上げることができる。玉組を観たからといって心配が消えるわけではもちろんないが、それでも小劇場にありがちの「暗い・わからん・貧乏臭い」の三点セットがないだけでも、ママはホッとするだろう。

もしこれが初めて観る息子の芝居なら、「息子はそれほどバカなことをやっているわけでもないらしい」と思ってもらえるかもしれない。

| 羽生まゆみ | - | 23:16 | - | -
お出かけしたい

多摩動物公園に行こうと思ったらめっちゃ寒くて中止にした。暑かったり寒かったり、みんな言っているけど今年の春は確かに気候がおかしい。

春の期間だけ、どこかに行きたいと意欲が出る。家の外に出たい。でも私が一人で行ける場所は京王線と小田急線以外では限られているので、結局映画館へ出かけるのがせいぜいだ。あと動物園と美術展くらい。芝居を観ろよと言われそうだが、芝居なんか自分が創ったもの以外はあんまり好きじゃない。(ひぇ〜、大バッシングを浴びそうだ)

でもさ、芝居の公演て(当たり前だけど)予約しなくちゃいけないから面倒だよね。映画と違ってふらっと行けないもの。ネットの予約画面を開いただけでげんなりして「やめよう」と思う。いかんいかん、こんなこと書いたら予約をしてくださる玉組のお客さんに失礼だ。ごめんなさい。

たぶん私が特別めんどくさがり屋さんなのだと思う。つーか特別予約画面が嫌いな人に違いない。そういえばトレーニングスタジオでも、私が予約フォームをガン無視なのでしょっちゅう文句を言われている。

「なんで俺が(予約入力を)やらなくちゃいけないんだよ」

まったくそのとおりである。

 

映画といえば初めて『太陽がいっぱい』を観た。前から観たいと思っていたのだが、なにしろネットを駆使することのない私に古い映画のリバイバル上映の情報は届かず、やっと念願を果たしたの感である。イタリアが舞台のフランス語で喋る作品だ。

ラスト間際のシーン、「太陽がいっぱいだ」の台詞に感動してしまった。声は出さなかったが思わずオオッてな感じに息を吸い込んだね。タイトルを台詞から取っているとはちっとも知らなかった。やっぱり「情景描写」で表現された「気持ち」は胸に響くわ。

『太陽〜』は、二枚目俳優アラン・ドロンのアイドル映画だと思っていたらとんだ大間違いなのであった。

楽しかった。ピカレスクロマンが好きである。

 

あと、『プラド美術館展』に行った。

羽生ノートでもよく「私にはこんな高尚な趣味がありましてよ」ばかりに美術展の話を書いているが、実は絵に造詣が深いわけでは全然ない。ばれていると思うけど、造詣はかなり浅い。水深5僂らいだ。

私が上野の美術館にちょいちょい行くのはミーハーな心持ちからである。

「美術の教科書に出ていたあの絵が今私の目の前に! 本物だーっ! ナマで観ている!」

伊勢丹の近くで芸能人見かけたときの感想とほぼ一緒である。

今回の目的はベラスケスの描いた『フェリペ四世』。前から「変な顔の王様だなあ」と興味津々だったのだ。

やっぱり行って良かった。フェリペ四世は確かに変な顔だったけど優しそうだった。

私が王様や王妃様の肖像画に心惹かれるのは、そこによく知られた物語があるからだと思う。たとえばフェリペ四世の一族には脈々と続いた血族結婚の弊害があるとかね。そんな物語に胸打たれる。

造詣とはまったく関係が無い。

 

さあ、次はどこへ行こう。

| 羽生まゆみ | - | 23:22 | - | -
NASに帰ろう

毎晩「世界卓球」を楽しく見ていた。やっぱりダメだったか。中国はすごいね。

前々日みなさんご存知のとおりの騒ぎが起こり、抗議をしない日本卓球協会の悪口をここにたっぷり書いていたところだったのだが、しかし選手たちの美しい戦いぶりを見ていたらばかばかしくなってやめた。

選手達に引き比べて、最近羽生ノートにうっぷん晴らしばっか書いている自分がつくづく恥ずかしくなってしまったよ。

とは言え、少しだけ遠回しに書いておく。

誇り高きテニスの国際試合でこんなことはありえないということだ。デビスカップの準々決勝で二つの国がいきなり「戦いたくないから合同チームで」なんて言うわけがない。デ杯100年の歴史なればこそ、である。

(このくらいにしておこう。遠回しすぎていたらごめんなさい。)

 

踊りたい。

で、来月からNASに復帰しようと思う。『サンタクロース〜』の稽古に入るときに休会届を出して以来今日に至っているから、あっという間に8ヶ月も休んでしまった。

たまーにジャクサー新宿へ行ったりしたのだが、なんか恐ろしいところで結局馴染めなかった。

規模の大きいフィットネスクラブは更衣室が苦手である。テキパキ効率よく着替えるということが私にはできないので、左右後ろの皆さんに多大なご迷惑をかける。なんやかやで1度の着替えで30回くらい「ごめんなさい」を言うことになる。

何も悪いことはしていないときも謝る。あとから来た人が隣りのロッカーを開けただけで「ごめんなさい」と謝ってしまうのだ。私が居るせいでロッカーが開けにくくてごめんね、という気持ちになるのである。完全に気持ちで負けている。

急げ急げと気持ちがせくのでつらい。洋服やリュックを狭いロッカーにぎゅうぎゅう押し込みながら、毎回泣きそうになっていた。なんとか押し込めたとたん、「あ、シューズ出すのを忘れてた」なんてことになる。マジ涙ぐむね。

ダンス系スタジオレッスンがまたつらい。一応新人なので遠慮して2列目で踊るのだが、最前列のオバサマたちがめっちゃ怖いのだ。踊りながら「ヒューゥ」とか「フーゥ」とか叫ぶし、先だってなんかむこうが私にぶつかっておきながら「ちゃんと歩いて!」と私のせいにされた。びっくりした。ここは午前八時、京王線の新宿駅ホームかっ。

「あんたのリズムが正しかったら私とぶつかんないんだよっ」と言い返してやりたかったが、テキパキ踊るのに忙しくてそんなヒマはなかった。(着替えはテキパキできないが踊りはテキパキできる。)

そう、最前列のオバサマ方のリズムはビミョーにずれている。なぜか0.5カウント、手も足も早めに飛び出る。

 

あ、またうっぷん晴らししちゃった。

| 羽生まゆみ | - | 00:12 | - | -
つながる愛

そっかあ、麻理枝は関ジャニすばるくんの脱退にも心を痛めていたのね。不謹慎ながらちょびっと笑った。ジャニヲタ族の方々は特定のグループだけではなく、ジャニーズそのもののファンなのだ。気持ちはわかる。かつてスモジョ族だった私が藤島部屋(後の二子山部屋)全員の力士を応援していたのと同じであろう。

ちなみに現在私は相撲ファンではないが、時々眦沈酩屋のHPを開けて、力士の皆さまの近況を気にかけてはいる。だからこのたび白鷹山がめでたく十両に上がったことも知っている。

眦沈酩屋は、藤島部屋で最初に関取になったお相撲さん関脇安芸乃島の部屋である。つまり今は亡き大関貴乃花(元藤島親方)に注ぐ私の愛が安芸乃島へとつながり、安芸乃島が興した眦沈酩屋を愛し、そこに所属する力士たち(輝や竜電や白鷹山)に対する愛へと続くのだ。

麻理枝もジャニー喜多川さんを愛しているのね、きっと。

 

大型連休とはいえ私には変わり映えのない日々である。Ericoにお茶でもしないかとメールしたら、連休は忙しいとの返信。

残念ながら私とのお茶が「重たくも嫌でも気分悪くもならない人」がErico以外に思い当たらず、「ま、いっか」と結局一人である。連休に限らずいつも一人なんだけど。じゃあなんか書けよと自らを叱咤激励するが、なーもやる気起こらん。

トレーニングもお休みである。(トレーナーは今日から沖縄に休暇旅行だ。)まあこの機会に私もゆっくり身体を休めよう。4日間も空くのでいくらなんでも筋肉痛とはすっかりサヨナラできるだろう。そして来週からまた頑張る。

なんてことを考えながら道をとぼとぼ歩いていたら、昨年までお世話になっていた整骨院のりらくさんにバッタリ会った。

「羽生さん!」

「あらま。こんにちは」

「お久しぶりです。どうですか? 元気ですか?」

「ううん、あんまり元気じゃない」

と、ここも痛いあそこも痛いと訴える。

「あなたが私の担当に入ってくれなくなったから行くのやめたんだからね」

やっぱりという顔をする。どうやら営業のシステムが変わり、「僕じゃどうしようもないことになって」とのことである。

ではやっぱり行けない。他の人ではダメだ。

私は彼の、施術中しゃべらないところが気に入っていたのだ。集中と真剣さが伝わってくる。

それと一番感動したのは、「絶対に治しますから」と言い切ったところだ。「やる気」は口にするから「やる気」なのである。

いいのだ、頑張ったのなら治せなくても。私が好きなのは「気概」である。

「やります。僕やりますから来てください」

というわけで、いずれ行ってみることにした。こういうことがあると運命論者の私は「神様が行けと言っているのね」と思ってしまうのだ。

 

みなさま、よい連休を。(演劇関係者はかえって忙しいのかもね)

| 羽生まゆみ | - | 18:03 | - | -
棟梁の事件で思うこと

TOKIOの山口くんがやらかしてしまった。

私は大工と僧侶にエロエロなので、大工仕事が得意な彼のことはかねてより注目していたのだ。名前がはっきりわからなかったので心の中で「棟梁」と呼んで親しんでいた。「あっ、棟梁がまた叩いてる」と、ついTVのチャンネルを替えるのも忘れて、彼が釘を叩く姿に見惚れていたものである。

 

で、記者会見である。

かなりじっくり観た。元々ファンであったことを差し引いても、とても誠実な会見であったように感じた。今批判を浴びている「席があるならTOKIOに戻りたい発言」も、振り絞るように発したその言葉が私の胸には深く突き刺さったので、連日の集中砲火がちょっと意外な感じがする。

私の受け取り方や読解がなにか間違っているのかもしれないが、とにかく長い会見の中で、そこが最も胸打たれるシーンだったのだ。私にはね。

やはり批判の対象になっている「救われた」という言葉も、私には納得のいくものだった。

「ひとりの人間の未来が全て奪われてしまうことを望んでいない」

記者会見冒頭、弁護士が被害者の親御さんの手紙を読み上げたとき、山口くんのほっぺたを涙がつーっとつたったよ。「さもありなん」と思った。「良かったね、救われたね、棟梁」って、思ったもん。立派な親御さんだ。

上手な会見ではなかったかもしれない。でもそのぶん正直な会見だった。

正直だったから、たぶん私の胸を打ったのだ。

あたりまえだけど怒っていたなあ、リーダーと国分くん。

でもここまでだ。つまり「テレビでは」ということ。来週からは、怒りや意見は本人だけに言えばよい。カメラではなく。

彼と縁を切るのか切らないのか、それを決めるのはTOKIOのメンバー自身だ。保身を考えず、偽善に犯されず、「正直」に結論してほしいなあ。たとえ耳障りは良くても「嘘」は胡散臭さをかもし出す。そして願わくば、山口くんを助けてあげてほしい。親御さんの手紙の言葉に免じて許してあげることはできないだろうか。

横山やすしを殺したのは芸能レポーターだが、助かったかもしれない命を救わなかったのは西川きよしだということ。

これから棟梁には「断酒」という永く苦しい道のりがある。私はアル中探偵マッド・スカダーシリーズ(ローレンス・ブロック)の愛読者だからアル中にはちょっと詳しいのだ。

みんなで支えてあげないと棟梁、やすしさんみたいに肝硬変で死んじゃうよ。

 

声高な「正義」を胡散臭いと感じる人も居る。つまり私のような人間だ。きっと私以外にも居ると思う。

| 羽生まゆみ | - | 00:07 | - | -
カタクリ

良い季節だ。出不精の私もさすがに出かけたくなる。しかしあいかわらず家でじっとしている。せいぜい映画館へ行ったくらいだ。

映画館と季節は関係がない。家でも映画館でもじっとしていることに変わりはないし、むしろ暗いぶん映画館の方がじっと感は大きいくらいである。観たのは『ドラえもん』。何の感動もなかった。どうして観ようと思い立ったのかわからない。

 

そうそう、スタジオの皆さまと人生2度目の登山(途中までリフトに乗った高尾山を除く)に行こうともした。でも雨天中止。なんだよっ、万障繰り合わせての一大決心だったのに。奥多摩にそびえる御前山。カタクリが自生していて今が開花の季節だというので楽しみにしていたのだ。

一緒に行くオーナーにもウキウキしながら釘を刺したものだ。

「今度は登山のカッコじゃないとダメだからね」

前回の御岳山&大岳山のときは、登山靴は履いていたもののお衣装はジーンズだったのである。ダメよダーリン、お衣装に手を抜いては。雰囲気が出ないもの。

私自身は故障を抱える左膝にサポーターを装着して当日までの日々をすごした。このところ膝は痛くもなんともないのだが、万が一グキッとなったら取り返しがつかないと思って万全を期した。膝痛で登頂断念なんてかっこ悪すぎる。

トレーニングも「体調を絶好調にしておきたいから軽めにね」とお願いしたが、もちろん何の手加減もしてもらえなかった。お願いが通ることは絶対にないとわかっているのにお願いしてしまう自分が情けない。

これほど気合いの入った山行きだったのである。

あー悔しい。こんなにお天気の良い日々が続く春はめったにないのに、どうして万障繰り合わせてのとっておきの一日が雨なのか。私のツキの無さったら格別だね。山くらい登らせてくれてもいいじゃん!

とうぜん今はもう、膝のサポーターは取り外している。グキでもポキッでもかまうものか。ふんっ。

 

とまあ、そんな最近の私です。

この素晴らしい季節、誰か私を山に誘ってくださいませ。(経験者求む。さすがに一人で登るのは恐い)

登山が趣味なんて健康的なヒト、演劇関係者では居なさそうだ。

演劇関係者ではないのだが実は一人だけ心当たりがある。毎週高尾山に登っている。若くハンサムなスポーツマンで、一日に高尾山を二往復する。どうして同じ山に二回登るのかわからんが、たぶん一回だと物足りないのだろう。問題は私のことが「好き」か「嫌い」か「どっちとも言えない」かわからないので、とても「連れて行け」とは言えないことだ。それと、高尾山以外に興味があるのかも知らん。

あー、山に行きたい。

雨天中止をリベンジしたい。森の匂いを嗅ぎたい。岩をよじ登りたい。

休憩中に膝をぐりぐりしながら「ちょっと痛い」とかも言ってみたい。

| 羽生まゆみ | - | 18:06 | - | -
私の稽古場

『プリンセス・ショック』で「花笠音頭」を踊ったのは良い思い出だ。ハジメ、準一、由紀、Erico と、手練れの者が多かった。シロートなはずのマチャがとても可愛かったのをよく覚えている。稽古場で必ず毎日踊った。稽古の必要もさることながら、私が楽しかったからだ。

ある日、振付・指導を仰いだ藤間紫恵乃先生がおっしゃった。

「石井さんの踊りは味があるから、うるさいことは言わずこのままにしておきましょうか」

私に否やはなかった。石井の持った花笠が他大勢の花笠と角度が違っていてもかまうものか。そんなことはたいした問題じゃない。味がある方がずっと良い。

 

何が言いたいか‥‥‥以下に書く。

 

たとえば石井は、ワークショップで日舞をやることになったら絶対インフルエンザにかかって休むだろう。私が石井んちのドアを蹴破って稽古に引きずってきても、昔私がエチュードでどん引きしていたように、稽古場でどん引きしていたに違いない。

『プリンセス〜』で石井が似合わない「日舞」を引かずに稽古したのは、物語の中でそのシーンを面白いと理解したからにほかならない。そこに「台本」という物語があったからだ。一条天皇という役を通して、石井は日舞を楽しんだのである。

私がほしいのは舞踊家としての技量ではない。役者としての表現力だ。

「あの役者の踊り、うまかないんだけどなーんかいいんだよね」

そんなふうに思ってニンマリしたい。

それは、作品を完成させるための「創作」という作業の中で生まれると信じている。役者は稽古してナンボである。しかし稽古が役者の本分ではない。役者の本分は表現することだ。役者は台詞が喋りたくて、表現したくて、役者になったのだから。

だから、「稽古=技術力」とは断じて思わない。稽古は「何かを生む」ためにあるのだと、私は思う。

 

私の役者達が、稽古のあと公園で木剣を振るのは、稽古の前にマックで台詞を合わせるのも、稽古場が充実しているがゆえである。

充実の不足した座組で、どうして役者が自ら動くだろう。チームワークが生まれるだろう。

私の役者達は私がガミガミ言わなくても当たり前のように稽古を休まない。

稽古はつらい。泣くこともある。前回の稽古場で優太がどんなにつらかっただろうと思うと、泣かした私が泣きそうになる。でも優太は決して稽古を休まなかった。

そして優太は、苦しみに勝る喜びを得たと信じる。100回の「ワークショップ」をやるより早く、優太は「本番のための稽古」で役者になったと信じる。

 

劇団ピンクノイズの役者、山田京太郎が退団した。

「本番しかしたくない」と言ったそうだ。(「本番のための稽古しかしたくない」という意味だろうと思う。いきなり本番ができるわけないからね)

この言葉への意見はさまざまにあるだろう。けれど私は、彼の気持ちが理解できる。

本番の舞台で生きたい。

これは役者の当然ながらの衝動である。この衝動がない役者は役者をやめた方がよいと思う。

私にも、「舞台に出たい」と血を吐きそうなほどに念じた日々がある。

 

さて、少し玉組を動かしてみようか。

私の衝動は「書きたい」だ。

 

オワリ

| 羽生まゆみ | - | 00:02 | - | -
私の稽古場

私の稽古場では、ワークショップ的な稽古は行われない。今もそうだし、劇団としての態勢が整っていた頃もやっぱりそうだった。

理由をいくつか述べる。

まず私がワークショップの方法論を持たないからである。方法論とはつまり、いわゆる『鈴木メソッド』や『平田メソッド』や『野田メソッド』と呼ばれるものだ。『羽生メソッド』があればチョーかっこいいが、残念ながら私に確立されたメソッドはない。

とは言え、私は中学の演劇部から始まって途方もない年月を演劇とともに生きてきたから、実は「らしいこと」をやろうと思えばやれる。役者時代にやっていたことをあれこれ組み合わせて『なんちゃって羽生メソッド』を作ればいいのだ(特に演劇部や大学のサークルなんぞ、公演はめったにないのに稽古時間だけはめっぽうあるから毎日がワークショップだった)。そんなことは簡単だ。らしいダメを、いくらでも飛ばせる。

しかし自分で「なんちゃって」だとわかっているメソッドを、どうして役者達にやらせることができるだろう。そんな恥ずかしいことはできない。私はダメを出すとき下を向いてしまうだろう。そのとき顔が赤らんでいるかもしれない。

あらためて言うまでもないが、私はワークショップを否定するものではないよ。私は、私自身のワークショップを否定しているだけである。

 

ワークショップをやらない理由はほかにもある。

つまんないからだ。

演出の私も上記のような按配で楽しくないが、役者だってきっと楽しくない。

私もフリーの役者時代、参加した劇団や集団でちょいちょい「基礎練」と称した稽古をやらされたものだ。良く知られたものにエチュード(即興芝居)があるが、ほんとにやりたくなかった。たいがいホンがあがっていないことをごまかすための「つなぎ」の基礎練だったから、やる気が起こるはずもない。こんなことをやって本当に役者力がつくのだろうかという疑問はつねにあった。

もう一回言っておかねばならんが、立派な演出家が指導するエチュードを否定するものではない。私はエチュード芝居の公演に参加したことがあり、ヘボ女優の私にしてはめずらしく良い芝居をしたことさえある。

 

言いたいことはこうだ。

私は私の稽古場で、私と役者が楽しいと感じることだけをやる。楽しくないことはやらない。それで役者のクオリティが上がらなくてもかまうものか。(そもそも「役者のクオリティ」ってなんだよ。私は今後一生クオリティという言葉を使わない覚悟だ。)

役者は私が指導する嘘くさいメソッドをやる必要はない。嘘で本物の力がつくわけもない。稽古舞台の上で役者自身が生きればよい。本物の台詞を喋ればよい。私が出すダメに耳を傾ければよい。

 

それが私の稽古場だ。

 

次回に続く

| 羽生まゆみ | - | 23:44 | - | -
私の稽古場

ここに何度も書いてきたが、私は自分の稽古場に絶対の自信を持っている。他は自信のないことだらけだが、稽古場だけは別だ。非力な私が曲がりなりにも20年以上芝居を打ってこられたのは、充実の稽古場あってこそである。

残念ながら役者は、私の稽古を受けても声が良くなったり、歌が上手に歌えたり、10回転ピルエットができるようにはならない。

しかし1回くるりんと回ったあとで客席にピカーンとフェロモンを飛ばせるようにはなる。それが私の稽古だ。

10回転とピカーンとどっちが役者としてのクオリティが高いかなんて比べるのは無意味である。10回転できる役者がピカーンもできたらそれにこしたことはないが、とりあえず今の私に10回転は必要ない。

でもホンを書いている途中で「このシーンはどうしても10回転がほしい」と思ったら話は別である。せっかくいいこと思いついちゃったのに役者が回れないからといって諦めることはできない。だから稽古場で稽古する。

10回転はやらなくても、私の芝居にはそこそこ歌シーンやらダンスシーンやらが出てくる。その度に稽古場で死ぬほど稽古する。『狐の姫〜』の時は殺陣があったからそりゃあ大変だった。役者達は稽古が終わった後も公園や道端で木剣を振っていたと聞く。

日舞をやったことも何度かある。やはり死ぬほど稽古をした。『母方のイトコ』で踊った八木節は名シーンだったと自負しているが、あのときの日舞稽古も過酷を極めた。とてもよく、覚えている。

 

私の稽古場はワークショップの場所ではなく、作品を創る場所だ。私は役者達とともに、創造することに注力する。

その創造の過程において、上記のような「技(ワザ)」を習得していく。

習得のために日舞の藤間紫恵乃先生やら殺陣師の森垣千歳先生やらに指導を仰ぐ。やると決めればぬるいことはやっていない。

こういった「技」の習得は役者の武器にはなる。(『プリンセス〜』の時は日舞の素養がある役者が複数居たのでとても助かった。)しかし、それと役者のクオリティとはまったく関係がない。私は役者たちに特段「技」を求めない。あればラッキーてなもんである。

日々技を磨いていないからといって「羽生の役者はクオリティが低い」などと思われるのは、また発言されるのは、まったくもって心外である。

 

次回につづく

| 羽生まゆみ | - | 06:38 | - | -
道明寺(体幹トレ日記95)

ところで私のトレーナーはトレーナーなのに甘党である。

トレーナーは甘いもんなんか食べず、ブロッコリーとサラダチキンばっか食べているのかと思っていた。あんこ好きなのだ。トレーニングの前とか後とかに豆大福やら道明寺を食べたりする。

前と後だけではなく、途中で食べたこともある。私をトレッドミルに乗せておいてから、急に「草もちが食いたくなった」と言い出した。

「今?」

「買ってくる」

「はあーーっ?」

そしてとっとと出かけようとするではないか。やばい、本気だ。私をトレッドに置きっぱなしにして?

ハムスター状態の私は慌てふためき、トレッドの上でバタバタ足をもつれさせながら叫んだ。

「今じゃなくてもいいでしょーよ! 無理無理無理!」

「大丈夫。すぐ戻る」

大丈夫じゃないわよっ! 私はここのトレッドの止め方を知らないんだからっ。たとえ知っていても私はトレーニングを自分で止めたりしない。トレーナーの「はい、水飲んで」を待つ人だ。トレーナーと喧嘩するときだって律儀に腕立ては続けるぞ。

しかしあきらめるほかなかった。

「だったら走って! 丁寧に包んだりしなくていいんだからね! 急いで! 早くっ!」

まったく生きた心地がしなかった。もし交通事故に遭って帰ってこなかったらどうしようと思った。ここで私は永遠に走っていることになるではないか。

不安感が極限までつのり、「無理無理無理。早く戻れ、バカ!」と騒いでいたら戻ってきた。

30分は走ったと思っていたら、7分しか経っていなかった。

「羽生さんも食べる?」

「‥‥‥」

「いらないの?」

「‥‥‥イッコ食べる」

私はこの人に、「食え」とは言われても、「食うな」と言われたことがない。

 

いつだったかトレーニングの後、私が草もちを買ったこともある。つーか、買いに行かされた。近所に和菓子の老舗『玉屋』さんがあるのだ。あんこ好きにはたまらん環境だ。私もあんこは嫌いではない。

私の次の時間帯に入っているノブちゃんのぶんもいっしょに買ってきた。女の子が好きな道明寺である。

「ノブちゃんにあげてね」

「俺が食べる」

冗談だと思っていたら本当に独占したとあとで知った。悪魔っ!

 

ここを読んだノブちゃんが激怒して、ぱこーんと蹴ってくれることを祈る。

 

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 20:15 | - | -
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