羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
激しい人(体幹トレ日記98)

一夜明けて激しい筋肉痛。昨日のトレーニングもオーナーと一緒だった。

昨日は楽しかった。うふっ。トレーナーにあんまり怒られなかったし。うふふっ、である。

オーナーはここ最近身体作りに気合いが入っているようだ。ヒロの指導で筋トレをやる他に、有酸素系のスタジオに週3回通っている。よくわからんが暗闇の中でボクシングしたりバーピージャンプしたりして死ぬほどハアハアなるらしい。自分の経営するスタジオがあるのにわざわざ他のところに行くのはやっぱり刺激や新鮮さを求めてのことだろうか。気持ちがわからないではないが、私はできたら、こっちで私と一緒に週3回トレーニングしてほしいところだ。そうなると最早パーソナルではないがどうでもいい。

オーナーはマラソンの人だから、トレーニングの目的のほとんどは「早く走るため」なのだろう。そういえば私はもうずっと外を走っていないなあ。あんなに楽しかったのに、少し寂しい。

走っていたシーンを思い出すたびにリュードのことを、胸の痛さを伴って懐かしむ。

 

オーナーにあちらのスタジオの様子を訊くのは遠慮している。こちらに移った私が詮索がましい発言をするのは違うと思うから。

でもこれだけは言っておきたいが、私は自分から裏切ったわけではないよ。オーナーとヒロの誘いがあったからだ。私の方から「あっちへ行きたい」などとは、私の性格上、口が裂けても言えなかったと思う。

二人が、今頃になって誘ったことを後悔しているとしても知ったことではない。私が「面倒くさい客」であることは、前から知っていたはずだからね。それとも面倒くさい客だから、オーナーがヒロに引き取らせたのだろうか? 

可能性はおおいにある。

 

で、私は自虐的に言った。

「じゃあ私がやめてあちらのみなさんは喜んでいるね」

するとヒロが言った。

「アキは激しいトレーニングが好きだからちょっとは残念なんじゃないか」

うふっ。少し気分がいい。つまりあちらでは私が一番激しかったということだ。

ところがオーナーが言った。

「ひとり激しい人がいるから大丈夫」

ナヌ? 私の負けず嫌いが鎌首をもたげる。

オーナーは言った。

「羽生さんほどじゃないけどね」

ホッとひと安心。ところがヒロが私を絶望のどん底に突き落とした。

「こっちも最近羽生さん並みに激しくやる人ができた」

ナヌナヌ? 知らんかった。油断していた。いったい何者だ。

どうやら男性会員であるらしい。男子と聞いていくらか安心するがそれでも悔しいことに変わりはない。きっとベンチやっているんだわ。ベンチやっていると聞くとめっちゃ悔しい。この頃は重たい物はあんまり持たせてもらえない。

 

そんなわけで頑張った。いろんな種目をオーナーと1セット交替でやっていく。

相変わらずオーナーはいっぱいほめられる。オーナーがやる時は私に、

「羽生さんより上手い」

私がやる時はオーナーに、

「ほら、羽生さんの場合、ここが反っているでしょ。これだと効いていない」

オーナーは「ふんふん、なるほど」と、すっごい参考にしていた。なんだよっ、私を悪い見本にするな! 反っているならとっとと真っ直ぐにしてくれ!

チンニングの時もオーナーはほめられていた。

「最近背中が大きくなりましたね」

私はすかさず訊いた。

「私は?」

「変わらない」

「私も大きくなりたいのですが」

「大きくなるより現状維持を考えろ」

「‥‥‥」

ぐやじい。現状維持なんかイヤだ。できるだけムキムキになりたい。「腕が太くなるから筋トレはヤだ〜ん」などとのたまうナメた小娘と一緒にするんじゃないぞ。

丸太のような腕が欲しい、と言っておく。

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 23:58 | - | -
テンアゲ

二人芝居の会場となるライブハウスを見学してきた。

装置を立てられないし大きな道具も入れられないので、どうやって「部屋」にするかが問題だ。床に何か敷くことができればありがたいが良いアイデアはとんと浮かばない。まあいいや、「敷きたい」とぶつぶつ言っていれば誰かが何か敷いてくれるだろう。

とりあえず、場所として考えていた「元炭焼小屋」は雰囲気の問題からナシにした。屋根裏部屋にする。

登場人物二人の設定はもう決まっている。まだナイショだけど、かなり突飛な設定である。しかし二人芝居は突飛なくらいでちょうどいいというのが自論である。ただでさえ二人芝居はワタシとアナタの会話がダラダラ続きがちだ。やり方を間違うと「ダラダラから抜け出せない地獄」に堕ちる危険がある。私の芝居は長ゼリが多いし、ダラダラしたらオシマイである。

コヤを見たらスイッチが入った。ふと気づくとEricoと純一が頭の中で勝手に会話している。道を歩いているときや食器を洗っているときやなんかにね。

その会話がそのまま台詞になるわけではないのだが(もちろんなる場合もある)、会話によって二人が、二人の関係や状況や過去の出来事などを断片的に私に教えてくれるのである。会話ではなく「絵」が浮かび上がることもある。私は矛盾を排除しながら断片を繋いでいくだけである。簡単だ。

 

おーっし、テンション高いぞ。最近覚えた「テンアゲ」というやつだ。楽しくなってきた。

 

いつもの「昭和歌謡」シーンを創ることにした。会場がライブハウスなのに歌わないテはない。純一が歌えるかどうか知らん。『狐の姫〜』で何か歌っていたような気がするが忘れた。

デュエット曲や、コーラスのある曲を探していたら、Ericoがピンキーとキラーズを挙げた。『恋の季節』だ。これはかっこいいぞ。しかしピンキーとキラーになってしまう。

「じゃあ、次にとっておきますか?」

玉組の次回公演? 私の中で何かが湧き起こった。キラーズを探した。出るわ出るわ、心当たりがたんと出る。

私が指折り数え終わったとき、Ericoは言った。

「千歳が泣きますよ」

あっ、千歳を忘れていた。

そんなわけで私のテンアゲな頭は二人芝居を通り越してキラーズの芝居に飛ぶのであった。

犯罪者が登場する芝居はしばしば書いてきたが、たいがいチンピラ系であった。いよいよ殺し屋かと思うと心が躍る。

再来年、打つかなあ。『恋の季節』がやりたいばっかりに? そんな安易なことでいいのかな。

高性能ライフルが10本揃えられるだろうか。なんならマシンガンでもいいぞ。

 

やばい、具体的になってきた。

| 羽生まゆみ | - | 23:46 | - | -
サラサラしていたら(体幹トレ日記97)

ここ数週間のトレーニング、毎回40分近くをミット打ちに費やしている。太ったのがバレたからである。つい体重を告白してしまったのが失敗だった。ほとんどインターバルをいただけない地獄のミット打ちである。最後の〆は腹筋運動。お腹の上に砂の入ったボールを落とされたりする。ボクサーがやっている例のアレだ。あー楽し。

なのでお腹にくっきり2本の筋がよみがえった。簡単だね。(下腹はまだポテポテだけど)

そんなわけで気持ちはボクサーである。だから先だっての井上尚弥の試合もお勉強させてもらおうと、緊張しつつゴングを待っていた。

ゴングが鳴った。

「そうだ、コーヒーを飲もう」

カップにインスタントコーヒーをサラサラ入れている間に試合が終わってしまった。戻ったら、相手選手がリングに伸びており、井上が落ち着いた表情でテンカウントを聞いていた。

なんだよーっ。全然お勉強していないじゃないか。どうしてゴングと同時にコーヒーが飲みたくなったのかわからない。

KOシーンが繰り返し映し出された。なにがなんだかわからなくてやっぱりお勉強にはならなかった。

相手選手が垂直後ろ倒れして、むしろそっちの方に目が釘付けであった。昔、暗黒舞踏系の方々が、踊っている最中に白目むいて倒れていたのと同じ倒れ方だった。久々に見た。

 

早くリングに、じゃなくてスタジオに戻りたい。ここ一週間、私はお休みなのだ。お腹の筋がまた消えるんじゃないかと心配だ。

このところもう一つ気持ちが盛り上がらない。前回はオーナーと一緒のトレーニングだったので復活するかと期待したが、これもかつてのようには気持ちが弾まなかった。昔は三人でトレーニングするのが楽しかったんだけどなあ。

「二人で楽しくやってれば? どうして私がいるの?」てな感じのイジケた一時間だった。オーナーの前でトレーナーに侮辱されるのが、誇り高い私を傷付けたのだ。人前で侮辱されるのが一番腹立つ。

どうもいかんね。でも気を取り直して努力しなければ。トレーナーのダメが侮辱ばかりで気持の良い檄が飛ばない今、自分で自分を奮い立たせるほかはない。次回はこれまで以上に鋭いパンチをミットに叩き込んで、トレーナーを垂直後ろ倒れさせてやる。

返り討ちに遭うのは覚悟の上だ。この前など、私のガードが甘いと怒って、チョイとミットで肩を押されたら吹っ飛んだ。オヨヨと倒れ込んだ私はその姿のまま恨めし気にトレーナーを見上げたね。ミットをはめた貫一とグローブをはめたお宮であった。ここは熱海の海岸かっ。

 

気合いを入れよう。気合いが頼りだ。トレーナーからもオーナーからも「羽生さんは根性だけ」と言われるが、その根性がなければそもそもこんなきついことが続くわけないではないか。

これだけ続けて進歩がないとすれば(実際、ないのだけど。85才のおばあさんにも負けているらしい)、あとはもう才能の領域である。やめて別のことに目を向けてみるのも、別の才能を探すのもアリなのかもしれないと考えたりもする。

水泳でシニアレコードを出す可能性がないではない。100メートル走はどうだろう? リュードの指導で坂道ダッシュをしたとき、私は確かに風を切っていた。

このように、考え始めると(トレーニングのことに限らず)深く重く沈み込んでいくのが私の特徴である。

いかんいかん。これだから休みは嫌いだ。気持ちが切れる。ずんばも書道も一回休むと次回行く気が薄れる。芝居の稽古は休んだことがないからわからんが。

 

木曜日に名古屋方面の動物園にゴリラを見にいく。それでまた元気になるぞ。

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 23:29 | - | -
トミーと純一と優太と、三人の伯母

トミーと純一と優太がいっぺんに三人そろった舞台があったので観に行ってきた。同伴はEricoとKAZUHOである。

三人は偶然の共演だったようで、小劇場界の狭さをあらためて感じる。

 

さて芝居である。灯りが入ったらいきなり純一が女の子と喋っていた。笑いそうになった。KAZUHOも掲示板に笑ったと書いてあったし、Ericoもたぶん笑ったんじゃないかと思う。別に悪い意味じゃないよ。ただわけもなく可笑しかったのだ。恥ずかしいやら嬉しいやらのヘンヘンテコな気分。親戚の子の発表会に出席した伯母さんの心持ちといったところか。

当然この瞬間は純一が主役に違いないと思った。ところがだんだん情けない役柄になってゆき、劇団をやめるとかやめないとか(役者の役だったからね)ウダウダ言い出して本気で腹が立った。私は同様のことでかなり痛い目に遭っているので、芝居とはいえ呑気にしていられないのである。

でも純一は台詞はいっぱいあった。優太なんか台詞がほとんど無いのだもの。まったく私の役者をなんて使い方してくれるんだと、私のご機嫌はかなり斜めったね。しかもやっと3行以上の台詞が来たと思ったら噛むし。私は客席で堂々と「噛んだ」とダメ出ししてやった。

昼間優太から「お待ちしていますメール」が来たので「噛むなよ」と返信しておいた。「お待ちしていますメール」に「噛むなよ」と返信すると大概の役者はビビるからチョー面白いのである。

ところが優太は「はーい!」と呑気な返信で、私は「あら、割と自信あり。つまんない」と思った。

その話を観劇前にEricoにしたら「優太は噛まないから」と絶大の信頼であった。

でも噛んだ。ま、こんなもんだ。

トミーはいつもながらの「悪い人」の役であった。今回の演出家の芝居を観るのは2度目だが、前回もスーツを着た悪い人の役だった。すでにすっかり板についており、安定の「悪い人」であった。

そういえば私の芝居でも悪い人をやったことがある。「午前2時〜」で悪い雑誌記者の役をやった。私の知人が「あんな悪い人は見たことがない。ひどすぎる。出てくるたびに腹が立った」と、芝居を観るのが初めてだったせいか役を飛び越えてトミー批判になっており大変困った。トミー自身はこの世にこんないい人は居ないってなくらいいい人である。

 

私の役者が三人も出ていたのでめずらしく観劇ネタを書いた。

EricoやKAZUHOも含めて役者達の顔を見られるのは嬉しい。気持ちがほんわかする。自分が演出家だということも思い出す。

そうそう、Ericoの依頼で純一とEricoの二人芝居を創るよ。来年2月に神田のライブハウスで3日間。詳細はいずれEricoから発表があると思うので私はこのくらいで。

というわけで今日は純一の芝居を客観的に観ることができて良かった。

さあ、そろそろ書き始めねば。

| 羽生まゆみ | - | 00:05 | - | -
青を刺すと書いて入れ墨と読む

世間が彫りもんの話題でにぎやかである。パパになった若い芸能人が彫物を入れて、それを批判したら今度は批判した人が批判されて大騒ぎ、てな構図である。にぎやかなのはよいが、なんだかハナシが人権問題になっているのが気にかかる。

入れ墨は各個人の「嗜好」の問題だからそもそも批判するのはおかしい。彫物を入れたからと言って他人にとやかく言われる筋合いはないのである。しかしその批判を「人権問題」にするのはものすごく的外れだと思う。つまり「入れ墨を入れた人を差別するのはよくない」という「良い意見」のことである。

入れ墨批判を、人種差別や身障者差別といっしょくたにするのは違うだろと思うのだ。そんな大そうなことではない。そもそもその多く、特にアウトサイダーの皆さまにおける入れ墨は、差別されたいがため自ら入れるものである。差別されたくて入れているのだ。

 

彫物が嫌いな人に理屈はないのだ。ただ単に嫌いなだけだ。

私の知り合いにピアスの穴を見るとゾッとするという人が居る。彫物もそれとおんなじようなことだと思う。彫物を見るとゾッとするだけで、そこに理屈はない。

私はピアスの穴が二つあり、近く三つ目を開けるつもりの人だが、「ゾッとする」と言われたときに「なるほどなあ、そういうものか。そういうふうに感じる気持ちはわかる」と納得したものだ。理屈ではないのだ。その人が穴を見るとゾッとするんだから仕方ないではないか。そのことについて私が「ゾッとするのはおかしい」と理屈を言ってみてもはじまらない。

 

では私が彫物を好きか嫌いかと問われれば、これはなかなか返答がむつかしい。

私はヤクザの紋々が大好きである。『ロンググッドバイ』の主人公二人にも背負わせたくらいで、ホンを書くときはネットを駆使して写真を見まくった。背中からお尻までびっしり彫られた紋々に、わくわくはしてもゾッとはしなかった。図柄に付けられた「抱き鯉 金太郎」なんていうタイトルは、私の創作意欲をおおいに刺激してくれたものである。

ところがである。現代の現実において、前方を歩いている男の子のふくらはぎに有刺鉄線が巻き付いていたり、女の子のむき出しの肩に蝶が止まっているのを見るとゾッとするのである。ごしごし洗ってサッパリさせたくなる。

ヤクザと男の子の差が何なのかはわからない。彫ってある「場所」の問題なのか「図柄」の問題なのか。

でも私は有刺鉄線の男の子やチョウチョの女の子と知り合ってお話すれば大好きになる自信がある。第一印象が悪いことは認めざるを得ないが、私はやんちゃな若い子は好きだし、その子のことが好きになれば有刺鉄線もきっと好きになる。

そして「できればそんなものは彫らない方がよかった」と、静かに説教するだろう。

 

第一印象が悪くなるリスクを、ゾッとする人が居るということを、彫物を入れた方々は寛容に受け止めなくてはならない。それが大人の佇まいってもんである。芸能人ならなおさら、批判に傷つきムキになって反論してはいけない。人権を持ち出してはならない。愛と決意のために彫ったのなら、黙って耐えてこそ、それは重みも増すというものだ。

私はDU PUMPの一茶が大好きである。彼の腕にびっしり彫物がほどこされていても私の愛は変わらない。

けれど、TVの画面に彼の彫物が映ると、私は一瞬視線を逸らしてしまう。それは理屈ではない。そういう人が居るということだ。たくさん居るということだ。

時代ものの小説を読んでいて、登場する粋な江戸っ子、たとえば飛脚や鳶や町火消が紋々を背負っていると私のテンションは上がる。日本の入れ墨は青を刺して描かれる。細かいルールと神業のような技法がある。

 

ゾッとはする。怖い。それでも、立ち昇る伝統や文化や芸術の匂いと物語に、私の胸は躍る。

| 羽生まゆみ | - | 00:25 | - | -
あの道この道

8月は、ミケのライブとEricoの芝居とゴローの落語、加えて映画を四本観るという、私にはめずらしく活動的な日々であった。

私の役者達はみんな頑張っているなあ。私なんぞダラダラしまくりである。

ゴローの独演会にはEricoとクマと三人で行った。この頃再会したクマは、先だっての羽生ノートに書いたようにゴローと『覇王伝』で共演している。誘ったら来てくれた。ちなみに『覇王伝』の主役である千歳は誘っても来なかった。

いやあ、ゴローはたいしたもんだね。私のまわりはファンのおばさまたちでいっぱいだった。

「上手よねえ」

「精進していらっしゃるから」

幕間でのおばさま方のお喋りが私の耳にはたいへん心地よかった。「昔はね、私の弟子だったんだから」と、なにも教えていないのに自慢したかった。オリンピック選手が3歳の頃に通っていたスイミングスクールの先生と同じ。ありがちなパターンである。

まったくだ。なにも教えていない。「普通に歩け」とか「もっとリラックスして歩けないの? あなたはロボットですか」とか、よりによって落語家にはほとんど必要のないことばっかダメ出ししていた。一番恥ずかしいのが社交ダンスを習わせたことだ。こんなことなら日舞か太鼓でもやらせておくんだった。本当に申し訳なかった。

 

同行のEricoは二日前に舞台が終わったばかりで、夏枯れの草みたいに干からびていた。

公演の中日に役者が降板したとかで公演期間中は怒りまくっていたが、千秋楽から二日たった今ではすっかりウェットになっていて、「みんないい子たちだった‥‥」などとしみじみモードにスイッチが切り替わっていた。なんだかんだ言いながら楽しかったのだろう。

中日に役者が降板するとは、考えたくもない恐ろしい出来事である。幸い演出の寺本さんが現役の役者さんなのでホンを持って代役に立ったが、私にはとてもできない芸当だ。

『サンタクロース〜』で私がEricoの代わりにホンを持って立って、「粉雪はさらさらと‥‥さらさらと降りしきり振り積もり‥‥」などと喋ったら客席から失笑が漏れるだろう。誇り高い私はすぐさまホンを舞台に叩きつけ、そのままEricoを殺しに劇場を飛び出したに違いない。

Erico、お疲れ様。早く潤えよ。

 

ミケは音楽活動に再び力を入れている。毎回ライブハウスの客席で、私はミケと過ごした日々を懐かしみながら涙ぐんでいる。美しいミケ、ミケは私のところに少し寄り道して、そしてまた本来の道に戻ったんだなと思う。

逆の意味で、Ericoは本来の道から脇道へぴょんぴょん跳ねて行き、さんざん遊んだあげくまた小劇場に、私のところへ戻ってきたのだ。

私が観劇した日の夜に電話があった。明日は楽日だというのに2時間近く喋っただろうか。長々と喋ったあと、最後にEricoは私に訊いた。

「何かないですか。もうやれることは他にないですか」

懐かしい台詞だ。客演した舞台を観た私に、Ericoが必ず吐く台詞である。訊かずにはいられないのだろう。私は、Ericoの、演出家だ。

 

ゴローはいくつかの道から行き先の見える道をしっかり選び、一歩一歩、歩み続けている。

私自身は一本の道しか知らなかったが、途中で右か左に曲がっていたら、とっても幸せになっていたんじゃないかと、しょっちゅう思う。

 

| 羽生まゆみ | - | 23:03 | - | -
着想

お馴染みHIROくんがBBSに『狐の姫〜』と『サンタクロース〜』のDVDのことを書いていた。ここのところ「狐庵」に滞在していたが昨日から「アイビーハウス」に下宿しているとのこと。笑った。滞在に下宿かあ。そして焼酎3本とお香。お見事な情景描写だ。

そして、私だったらどこのお家に行きたいかなあと考えた。

カボチャ畑を見下ろす農家(『パンプキン通り、午前2時』)も捨てきれないが、一つを選ぶとしたらやっぱり湖のほとりにある内藤家のお屋敷(『いななきの森』)である。私は東京からの旅行者で、内藤邸に幾晩か泊めてもらいたい。つまり真貴が演じた跳子の設定だ。

あの一家が好きだ。今、長男の朝陽と三男の晩、そして末っ子の真昼はどうなっているのだろうと考える。真昼は無事大学に入ったのだろうか? 今や村の顔役となった朝陽は村長目指して暗躍していそうだし、晩は働き者のお嫁さんと一緒に牧場を大きくしている気がする。鼓太郎は獣医さんになって村に戻っているし、家政婦の砂子は内藤家の幼い子供たち(朝陽や晩の子ども)に、大いなる愛を注ぎまくっているに違いない。私に、エピローグの照明が落ちたあとの物語をこれほど想像させてしまう自作品は他にない。

そうなのだ、お芝居が終わってから長い月日がたっても、作品を忘れることはない。演じた役者はもちろんご覧になったお客様の胸にも、内藤家のかけらがちょびっとでもいいから残っているといいなと願う。

それが作者の思いである。

 

で、映画の盗作騒動だ。

そんなことが騒ぎになっているのは知っていたが特段興味もなかったから流していた。

ところがその騒動の元が小劇場の芝居だと知って考察しないわけにはいかなくなった。取り敢えず詳細を知るべく、情報番組をじっくり観た。(私が観た番組は一つだけだったので詳細とはゆかず、おおまかな情報による考察であるから、勘違いが入っていたらごめんなさい。)

その番組の雰囲気では、あきらかに「小劇場不利」であった。要は「最初は映画化を喜んでいたくせに、ヒットしたとたん盗作と騒ぐのは違うんじゃないの?」というご意見である。やんわりとではあったが「お金目当て」と言いたいらしかった。

監督は、その小劇場作品を観たことは認めている。ただ、着想を得ただけで映画作品はオリジナルストーリーであると言っている。

でもさ、私は思うのよ。そのお芝居のおかげで作品を創れたのなら、その作品に敬意を払うべきなんじゃないかなって。どうしてクレジットに作者の名前を入れてあげなかったのだろう。原案か原作で権利(お金)がずい分違うらしいけど、先に監督が「クレジットはどうしましょ? ストーリーはだいぶ違うものになっているんだけど」と訊いておけば、演出家の方は「原案でいいよ」と言ったかもしれないと思うのだ。私なら言うね。

最初はどちらもこんなにヒットするとは夢にも思わなかったのだろう。劇団の方は映画化してもらえるだけで嬉しかったし、監督の方はできたらオリジナルと周囲に思ってもらいたいので、うやむや大作戦を敢行すべくクレジットを入れなかったのだと思う。

たぶん演出家が負けるね。そんな雰囲気だ。お金目当てなのかそうじゃないのかわからない。お金目当てなのかもしれない。しかしこの「着想」が許されるなら、小劇場のホンは自由自在に使い放題ということになる。

お金がどーたらは関係がない。「お行儀」の問題だ。「着想」をいただいたのならありがたいでしょーよ。挨拶はどうした。ナメてんじゃねーよということだ。

 

ある村に養鶏場を営む4姉妹が居て、その中の一人が鶏の化身だったという映画が公開されたとき、それを「『いななきの森』の盗作だ」とわめく勇気は私にはないな。(麻理枝とEricoはわめくだろうけど。)着想してくれただけでありがたいと思ってしまいそうだ。

 

というわけで、私のホンは着想し放題である。

| 羽生まゆみ | - | 16:10 | - | -
日出町

山で迷子になった2才の男の子を、78才の一般人が助けた。クロートがドローンまで飛ばして見つけられなかったのに、シロートのじいちゃんが20分で見つけてしまったよ。警察は立つ瀬がなくて困っただろう。

面白いキャラクターと相俟ってTVに引っ張りだこである。大分は日出町の人というので、私の田舎者気質がむくむくと頭をもたげて、親戚でもないのに「どうよっ」てな気分になった。

この、親戚でもないのに「どうよっ」は田舎の人間にありがちなカッコ悪い郷土愛で、例えばせんだって長崎に行ったときなども、タクシーに乗るたびに運転手さんから「この先に福山雅治の実家がある」と説明されて返答に困ったものだ。運転手さん一人残らず「福山雅治」を口にした。100%の親戚率であった。そんなわけで、ここのところ多くの大分県民が「どうよっ」になっているのは間違いない。

郷土愛がどんどん薄れている私が久し振りに郷愁を覚えたのは、この人の「日出のおいちゃん」らしい雰囲気にほんわか胸打たれたからだと思う。私の大好きな伯父たち「別府のおいちゃん」と面影が重なる。

ちなみに日出町は、平成の大合併のさいに合併を拒否して日出町(ひじまち)という美しい名前を残した気概のある町である。大分市から海岸沿いを北へ、大分空港に向かう途中にある。大分→別府→日出→杵築→国東(空港)の順番だ。

なるほど、私の郷愁はやはり日出町と関係している。帰省のたびに、亡くなった父が必ず空港まで車で送迎してくれたからね。途中、日出町で『城下カレイ』をちょいちょい食べさせてもらった思い出がある。(高価すぎて私ごときには手が出せないナマイキな魚だ。)

 

なぜか話が日出町のことになった。

普段は故郷のことなど忘れているが、こんなことを書いていると急に恋しくなる。

良い観光地も少しはある。私は湯布院や別府より日田がおすすめ。川のある町が好き。川端にある古い街並み(豆田町)は一見の価値があるし、近くに小鹿田焼(おんだやき)という陶芸の里もある。

小鹿田の陶芸は300年の歴史を数え、10軒の窯元はみんなこの開窯のときの子孫である。一子相伝の決まりがあって、長子だけに技術が伝えられてきたという、うなぎのタレみたいな焼き物なのである。

東京のショップでもちょいちょい見かけるけれど、陶器市などが終わった時季はずれに直接出かけて、窯元の庭先に打ち捨てられたように並んだ器の中から掘り出し物を見つけるのが楽しい。私もそうやって見つけた器を大事に使っている。

 

今日は大分観光大使になってしまった。

| 羽生まゆみ | - | 00:07 | - | -
居直りたくはない

剛力ちゃんのブログ(インスタ? 違いがよくわかっていないのでゴメン。)が、あーだこーだと言われているようだ。

批判に対しては「自分のブログに何を書いてもご勝手次第だろ」「嫌なら読むな」なんていう至極当然の擁護発言があったりで大変おやかましいことになっている。

そう、何を書いてもいいのだ。恋をすればのろけたいし、美人さんは自分の写真を載っけたいし、悲しいことがあったら自己陶酔型抽象文をダラダラ書き連ねたい。それが人ってもんだ。ただしそれをやると知性や品性が欠落しているように見えるから、そう思われたくなかったら気を付けてねって、ただそれだけのハナシである。

私だって本当は自分の前鋸筋や広背筋の写真を、バカと思われてもいいからアップしたいと思うことしばしばなのである。羽生ノートが玉組を背負っていない私的ブログなら、ここがどうなっていたか自信ないね。

 

他人の自慢話なんてあんまり読みたくもないけどそこは芸能人で、どんなばかばかしい文章でもナルシスト写真でも、ファンなら喜んでくれる。

私も眦沈酩屋のお相撲さんたちが毎日交替で書くブログを、「『頑張ります』だけじゃなくてもうちっとマシなこと書けないのかよっ」と文句を言いながらも、一度開くと永遠に読み続けてしまう。お誕生日ケーキを抱えてにっこりしているお相撲さんの写真につい見入ってしまうのだ。そんなもんだ。

ローラのお尻も見飽きない。新しいお尻、早くアップしてくれないかなあと思う。

逆の意味で、知人のブログはいっさい開かない。そこに万が一知人のお尻が掲載されていたらギョーテンしてしまうし、自己陶酔型抽象文を読んで「これはもしかして私のことだろうか? 私、彼女に何か悲しい思いをさせたかしら?」などとクヨクヨするのも嫌だからである。

 

羽生ノートも、あまり上手に書けなくなっていることを自覚している。お芝居、やっていないからかなあ。「玉組背負って」どころか、まるっきり素人さんのブログだよ。

夏が終わるころにはシャキッとして、切れ味の良い文章を書いていよう。ダラダラしている「気持ち」と「身体」の問題だと思う。シャキッとしなくてはいかんね。

少なくとも私自身は、品性の欠けることを書いて「ご勝手次第」と居直りたくはない。そこはホン書きとしての誇りを、ちょびっとくらいは持ちたいものだと願う。

 

| 羽生まゆみ | - | 18:02 | - | -
転生

オウムの死刑確定者全員が処刑された。なんだかぽわんと虚無がおそってくるな。私は被害者でも関係者でもないのにこれだから、被害者遺族の心持ちは推して知るべしである。

私は主義とは関係なく、つまり死刑廃止論がどーたらこーたらとは関係なく、麻原以外は無期懲役でよいのではないかと思ってきた。(新実と土谷と岡崎は少しぶれるが。むつかしい。)

頭のおかしい詐欺師ジジイの道連れになって死ななければならなかった若いもん(今は50代のオジサンたちになってしまったけれど)が気の毒で仕方ない。麻原にマインドコントロールや洗脳されなければ犯罪とは無縁だったであろう、むしろ心の純粋な若者達だったのだ。

 

もっとも例外は新実と岡崎で、彼らはオウムじゃなくてもなーんかやらかしたような気がする。私の勝手な憶測だけど。

新実は殺人を楽しむサディストなんじゃないかと私には思えるし、岡崎はそもそもマインドコントロール下におかれていたのかと疑っている。(岡崎は坂元一家殺人をネタに麻原を恐喝して、800万くらい巻き上げたからね。1000万要求したのだが麻原が値切った。小さい、小さすぎる! 何をやっておるのだと力が抜ける。)

 

このたびの処刑に関してはいろんなことが言われている。

私がひっかかるのは、「事件の真相が解明されないまま全員が死刑になった。これで真相は永久に闇に葬られた」といった論調である。

真相は解明されている。この長い時間をかけた裁判で解明されていない真相はない。地下鉄サリンも、松本サリンも、坂本一家殺人も、落田さん殺人も、動機はすべて明らかになっているし、どういう風に殺されたのかも解明できている。

今回処刑された人たちのうち、麻原、新実、土谷、遠藤、横山以外は、法廷で真摯に証言している。井上なんぞ喋り過ぎていたくらいだ。

証言によって事件の真相もさることながら、犯人たちの心の中も解明できている。

確かに新実、土谷、遠藤、横山はマインドコントロールが最後まで解けなかった。(土谷はあと一歩のところだったらしいが。)それでも彼らの心の中を解明できなかったわけではない。横山以外は真摯とは言い難くともよく喋ってはいる。だからそのバカタレな言動から心の中を推し量ることはできた。

新実や土谷の証言なんぞまったくもって法廷を愚弄したもので、粗悪な人間性がよくわかる。

横山があまり喋らなかったのは、頭がいつもボンヤリしているからで、この人も私にはたいへん気の毒な人の一人である。

遠藤はオウムの中ではエバっていたくせに、裁判では自分を小さく見せようとするなど、性格が卑怯者だ。(遺体引き取りはアレフを指名した。ご両親はどんな気持ちだろう。)

「真相が解明されないまま」などと書いている記者さんは、おおかた裁判の傍聴もしていなければ、たくさん出版されている傍聴記を読んでもいないのだろう。真相が具体的に何を指すのか、自分でもわかっていないまま書いているのだと思う。

『オウム法廷』(降幡賢一)を読むといい。犯罪者となったオウム主要信者の一審が、罪状認否から判決に至るまですべてわかる。法廷でのやり取りはもちろん、冒頭陳述や弁論や判決文等の文章(要旨)を読むことができる。

よく知りもしないくせに「真相が解明されないまま」などと書く人が居て、それを信じてしまう世間がある。こうして世論が作られるのはオウムに限ったことではなく、恐いと思う。

 

処刑された12人の若者(当時のね)の冥福を祈りたい。

彼らが信じ、信じたゆえに犯罪者となった「転生」というものが本当にあったのかなかったのか、彼らの口から直接聞いてみたい気がする。合掌。

| 羽生まゆみ | - | 00:17 | - | -
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