羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
激しく怒る

100%のキャンセル料にビビったことはある。

大昔のことで原因がなんだったかも忘れたが、とにかく激しく怒って公演の中止を決意した。この時私が電話をしたのは、当時Ericoと一緒に制作仕事を一手に引き受けていた平井由紀である。

劇場のキャンセル料を調べてほしいと言ったら、由紀は「わかりました」と言っていったん電話を切った。この後Ericoとの相談があったのかはわからないが、とにかくかけ直してきた由紀は言った。

「この時期だともう100%払わなくちゃいけません」

「‥‥‥」

ビビった。もはや中止にはできないと思った。

ところが、これが大ウソだったのである。Ericoもそうだが、面倒が起こった際の彼女らの頭の回りっぷりは、私なんぞまったくかなわない。

 

そんなこんなで私がすっかりやる気をなくしていた頃、Ericoから「お茶をしましょう」というメールがあった。新百合ヶ丘まで来るという。新宿ではなく、新百合ヶ丘というところがミソである。「わざわざ感」と「思いやり感」が発揮されている。

「そっかあ、Ericoは私を説得しに来るか」と思った。

この瞬間に、私は一ヶ月で芝居を仕上げることを受け入れたと言える。中止にするのは中止である。Ericoが説得に出張れば、どうせ私は説得される。

というわけで「説得」の時間を省き、さっそく私達は打合せに入った。

最初に決めたのは、野枝子役は三浦研でいこうということだった。野枝子を男子の役に書き直して研にと思っていたのだが、研は「出演したいが稽古に出られない日がある」ということで、私は決断を先伸ばしにしていたのだ。30歳前後の女優を他に当たってもいた。

しかし稽古時間が充分にとれなくなった状況で、「私の役者」以外の役者を使うのはリスクが大きすぎた。私のダメがすこんすこん腹に落ちる役者じゃないと間に合わない。研でいく。この状況で研が稽古を休むはずはない。

次に10月をどう使うかなど、具体的なスケジュールを話し合った。それから、この危機を役者たちに知らせる役目を、Ericoに押し付けた。残りの時間は雅紀の悪口である。

 

役者たちの反応はおおむね同じだったようだ。

「あーあ、マサ兄ぃがやっちゃった」である。それと「稽古場の羽生さんが恐ろしい」だ。

一人くらい、長野まで雅紀を蹴りに行ってくれる役者はいないものかと期待したが、しょせん無駄であった。

研にいたっては不謹慎にも笑いが止まらぬようだった。

「マサ兄ぃのおかげで出演できる。マサ兄ぃ、ありがとう」というわけである。

 

長野で地震があった。

「羽生さんの怒りが長野を揺らした」

役者たちがそう噂していると聞いた。

 

| 羽生まゆみ | サンタクロース イン トーキョー | 07:03 | - | -
激しく怒る

長野に居る雅紀からメールがきていた。「電話したいので都合の良い時間を教えてほしい」という内容だ。

どよ〜んと気持ちが暗くなった。役者からあらたまった電話があるとほとんど嫌な話だからである。ろくなことはない。「電話していいですか」とメールがくると、携帯を窓から捨てたくなる。

そうはいかないので、とりあえずさっさと片付けるべく雅紀に電話をかけた。出なかった。

で、Ericoに電話した。たいがいの役者は、まずEricoを相手に稽古してからやっと勇気を出して私に電話してくるので、Ericoなら何かを知っていると思ったのだ。

いきなり私は言った。

「どうもよくないことになってきた」

電話の向こうでEricoが小さく笑った。それを聞いてやっぱりEricoが知っていることを知った。

私は静かに尋ねた。

「降板するの?」

「いえ、降板はしません」

とりあえずホッとする。しかし、これよりほかの「よくないこと」が思いつかない。

「じゃあ何なの?」

Ericoの話を聞いて仰天した。こんな大マヌケな話は聞いたことがない。なんと雅紀は玉組の公演と稽古の日取りを勘違いして、10月末に松本で行われる演劇フェスの仕事を入れてしまったというのだ。

「はあああああああああああああ?」

「つまり11月1日からしか稽古に参加できないということです」

「だって、雅紀は主役だよっ」

「そうです。主役です」

なんということだ。バカだバカだと思っていたが雅紀は本物のバカだ。

「いったい私にどうしろと言うの?」

「稽古は11月1日からにするしかないですね」

一ヶ月で作品を仕上げるとEricoは言っているわけだ。

「休みなしの殺人的スケジュールになる。他の役者のことだってある」

「逆に役者たちは燃えると思いますよ」

私は燃えない。燃えるとしたら心ではなく頭だ。焦りまくってキイキイなっている自分の様子が目に浮かぶ。落ち着いて創りたい。キイキイなりたくない。

 

納得できないままEricoとの電話を切った。納得なんかできるわけがない。するつもりもなかった。怒りで吐きそうだった。

切った瞬間、雅紀からの着信があった。出なかった。一生出ない。ガン無視である。

それから、麻理枝にメールを送った。

「公演を中止にする可能性があるのでそのつもりでいるように」

麻理枝は飛び上がっただろう。そしてEricoにメールするに決まっている。

あとでわかるのだがまったくそのとおりだった。

Ericoは麻理枝に指令を出した。

「もし羽生さんに劇場のキャンセル料はいくらだと訊かれたら、『100%かかる』と答えること」

ふんっ、なめられたものだ。100%のキャンセル料にビビる私じゃないぞ。

 

次回へ続く

 

| 羽生まゆみ | サンタクロース イン トーキョー | 12:49 | - | -
当日パンフ

衣装さんとの打合せがあった。

そう、『サンタクロース〜』はサンタの衣装が5着も必要なのである。

初めてお会いした衣装のカナさんはとてもデキル女で、打合せはずんずん進んで大変ありがたかった。もっとも私がしゃべった台詞は3つくらいで、ほとんどEricoがイロイロ言っていた。演出なんだから何かしゃべらんとカッコがつかんと思うものの、例によって「おしゃれなのがいい」などと、なーんのヒントにもならない抽象的なことを言うだけの、いつもの私であった。

カナさんは麻理枝が送った初演台本をちゃんと読んでいて驚いた。私だったらサンタが登場するとこだけとりあえず読んであとはごまかす。

でもって「卓次がいい」という感想を聞いてさらに驚いた。あのホンをさらっと読んだだけで卓次というキャラの良さがわかるとはそうとうな読解力である。聞けば演出家で、作家の相方がいらっしゃるらしい。つまり他の人が書いたホンを読みなれているのだ。私とは違う。なにしろ私は自分が書いたホンさえ読みたくないからね。カナさんがデキル演出家であることは間違いない。

 

この場で『サンタクロース〜』の当日パンフを久々に読んだ。何かのヒントになればと思ったのだろう、麻理枝が台本と一緒に送ったのだ。彼女はこの当パンもちゃんと読んでいた。そのせいで私に会うのに緊張したと言っていた。

私は笑った。

「悪口ばっか書いてるから?」

そして13年前に書いた「ごあいさつ」を読んでみた。

びっくりした。とっても怒っている。なにしろ劇団員でもない渡辺一哉の悪口まで書いてあるのだ。

知らない人のために説明すると、一哉は劇団員ではないが「私の役者」で、私が最も愛した役者の一人である。今でも思い出すと胸がきゅんとあったかくなるのは、一哉が私にいつも優しかったからだ。そんな役者はめったにいない。

その一哉が私のオファーを断ったので激怒していた。でも怒りの正体は悲しみなのだと思う。私はいつも悲しみを怒りに変えることで自分のガラスの心臓を守るのだ。

上記の卓次は、一哉に当てて書いたキャラである。

 

さて今回の当パンのごあいさつも悪口で埋めるよ。雅紀の悪口だ。雅紀の役者紹介は写真削ってでもたっぷり悪口書いてやる。

いやいや、良く考えたら当パンまで待つ必要はなかった。次回、ここにたっぷり書く。

 

| 羽生まゆみ | サンタクロース イン トーキョー | 17:01 | - | -
バリのヤモリ

バリへ行く前、トイレ事情と同じくらい心配したのがヤモリのこと。どこにでもフツーに居ると『るるぶ』には書いてあった。

日本でもそうだがバリでも、ヤモリは家を守ると言われて大切にされているそうである。神様なのね。しかしそれでも爬虫類にかわりはない。爬虫類は恐い。

そこで私は毎日ヤモリのことを考えた。シュミレーションを繰り返したのである。レストランで食事をしている私。その背後の壁に何十匹と貼りついているヤモリの大群。とまあこんな調子だ。その中でひときわ大きい一匹のヤモリの正体は王子様。などと考えてしまうのは、『イグアナの娘』と『美女と野獣』からの連想である。

それからヤモリ柄のTシャツを買った。「ほら、agnes.bの定番の‥‥」と言えば「ああ、あれね」と思い出すアニエスファンもいらっしゃるのではあるまいか。とにかく慣れることだ。そう考えた。ヤモリが出てくるたびに「キャッ」と飛び上がっていてはせっかくの休暇が台無しである。

私は「突然」とか「急に」に弱い。ものすごくオタオタする。(ヒロ退社事件なんかがそうね。H28.12.28『惜しまないままに』参照)

逆を言えば、シュミレーションができていて準備怠りなくの場合はとても素敵でいられる。(シュンの退社はそう。H27.7.31『粋な計らい』参照)

オタオタは嫌っ。ヤモリ相手に素敵な私でいたかった。もしかしたら王子様かもしれないし。

 

結論を言うと、ヤモリはあまり出てこなかった。5日間の間で見たのは5匹。拍子抜けとはこのことである。しかもそのうちの1匹は小指の先ほどの大きさしかなった。形はイグアナでも大きさが2センチではなんてことはない。

最初の1匹は電柱にとまっていたのを車窓から見ただけなのであっという間の出来事だった。

2匹めは、トレーニングルームのガラスに貼りついていたやつである。

余談だが「旅先でも必ずトレーニングをやるように」と指令を出したのはアキである。私が「トレーニングルームなんてあるかなあ」と言うと、

「今どきリゾート地のホテルにトレーニングルームがないわけない。調べてあげます、ホテルはどこですか?」

PCの前に座って検索かけようとしたのでびっくりした。

愛と厳しさを感じたので、アキに「ちゃんとやったよ」と、ただそれだけを言いたいがためにわざわざトレーニングルームへ出かけ、同行者に証拠写真まで撮ってもらったというわけである。その写真にヤモリが写り込んでいた。

残りの3匹はまとめてエステサロンの食堂で見た。ちっとも恐くなかった。トレーニングルームのやつはガラス越しだったから、ここで初めて「ああ、やっと間近で会えた」の心持ちだった。指がまーるくてジャンケンポンの「ぱあ状態」に開いているのがなんとも可笑しい。日本のより肌のパサパサ感が激しく、そのあたりが可愛さを醸し出していたように思う。

 

あんなに恐れていたヤモリを可愛いと言う私。ああ、すばらしい。ひとつ克服できたものがあるという充足感。

これが旅の醍醐味というものであろーか。日本に居たままでは絶対に克服できなかったぞ、ヤモリ。

 

| 羽生まゆみ | - | 00:52 | - | -
旅行記のこと

いくらテレビを観るようになったとは言っても、ドラマはあんまり食指が動かない。やっぱりニュース番組やNHK系のもの(『趣味の園芸』『グレーテルのかまど』など)が多いかなあ。あと『タモリ倶楽部』と『いろはに千鳥』は視聴予約して観る。だがこれら好きな番組も、何曜日の何時からやっているかが覚えられず、しょっちゅう見逃して悔しい。

そんな中、録画してまで追っている番組が一つだけある。

『水曜どうでしょう』だ。「今頃かいっ!」という突っ込みが今いっせいに聞こえた気がするが、空耳ではないだろう。再放送をテレビ埼玉とテレビ神奈川とBSテレビ朝日でやっていて、全部録画してその週のうちにまとめて観る。私は週に一回だけ、ちゃんとお料理してお家でご飯を食べる日があるのだが、その際のお楽しみなのである。

大泉洋の恐れを知らない若さに愕然となる。なにしろ大学生時代の大泉くんが登場する。髪の毛なんかバサバサで、着るものなんぞにまったく気を遣っておらず、TVに出るという緊張感がまるでない。この頃の身ぎれいな彼を見ると隔世の感がある。ああ、大人になるってこういうことなのね、と思う。

 

今読んでいる『だいたい四国八十八ヶ所』(宮田珠己)をブックオフでつい手に取ってしまったのも、『水曜どうでしょう』の影響である。3泊4日で八十八ヶ所を巡礼するという過酷旅シリーズを続けざまに2シリーズ分観た。そのせいで「八十八」にぴーんと反応してしてしまったのだと思う。

宮田珠己さんという作家は初めてだが、これがとっても面白い。旅行記のほかにも体験レポート的な本をたくさん出しているようだ。

で、何が言いたくて『水曜〜』から宮田さんの話につなげたかと言うと、「旅行記」である。つまりここ羽生ノートで、大ネタである外国旅行の顛末が上手に書けなかったことがなんとも残念なのだ。バリに4泊もして、目いっぱい観光して遊んで食べて、それでここに書いたのがオーストラリア人のファッションと中国人の悪口だけではあんまりではないか。

 

旅行に限らず、専門じゃないことを書くのってむつかしいね。たとえばトレーニングのこともさんざん書いているが、トレーニング内容を描写することがなかなかできない。ランジとかプッシュアップとかはっきり名前のわかるものはそれでも書きやすいが、名前がわからないともうダメである。

腰にゴム紐を括りつけられて、腰を落として相撲の摺り足のように股を割ってずりずり歩く。ゴール寸前トレーナーが紐をぐいっと引き、よろけた私は「きゃん」と鳴いた。などど書いても、読んでいるみなさんにはなんのこっちゃわからないだろう。

体幹トレ日記も80回を越えるというのに、筋肉の名前ひとつ紹介できないのだから情けない。ナントカ筋とかカントカ筋とかクロートっぽいことを書いてみたい。そして『だらだら筋トレ』とか『なんとなくシックスパック』とかの本にまとめてひと山当てたいものだ。

 

私がここで最も筆力を発揮するのは「役者の悪口」である。

これではとてもじゃないがひと山は当てられん。

 

| 羽生まゆみ | - | 21:36 | - | -
遠吠える

野際陽子さんが逝っちゃったよ。好きな女優さんだったので残念だ。

突然のように思えるのは、現在テレビ朝日でやっている『やすらぎの郷』(倉本聰脚本)で、相変わらずのシャキンと美しい姿を観ていたからである。姿勢良くすっくと立って、シャキシャキ歩いて、81歳と聞いてびっくり仰天の若さなのだ。見た目の若さって姿勢がおおいに関係するなあと、そんなことを野際さんを見ながら思ったばかりだったのである。

『やすらぎの郷』には他にも大昔の「スター」と呼ばれた人達が目白押しである。若いころの写真ががんがん出てきて、その美しさとオーラにめまいがする。まさに芳香匂い立つ美しさだ。

実を言うと倉本聰という脚本家をあまりよく知らない。元々テレビを観るとバカになると信じていた上に、脚本を書くようになってからは家人の観ているテレビの音が癇に障ってイヤホンやヘッドホンを強要したくらいで、私には歌手や俳優やドラマの空白期間がある。(今は観る。懸念どおりバカになったがやめられない。)

そのうち、たまたま読んだ倉本さんのインタビュー記事で「なにこの人、ちょーえらそう」とひっかかることがあり、そんな悪印象の中「演劇」に手を出したところですっかりどうでもいい人になった。

私は映像の監督や脚本家が演劇に手を出すとムッとする人である。演劇は経験がないとホンは書けないし演出もできないと思っている。(今もその考えは変わらない。お芝居をたくさん「観て」いてもダメである。ただ、膨大な戯曲を読んでいる人は文学作品としての戯曲は書けると思う。)

というわけで、どんなに偉い人が相手でも「舞台をナメてんじゃねーよ」と言いたくなるのである。天王洲で打った東京公演の作品を演劇評論家の大笹吉雄氏が遠回しに批判していたのを読んで「ほれみろ」とほくそ笑んだものだ。

数百人の観客しか呼べない私がこんな文句を書いても負け犬の遠吠えとしか映らないだろうが(実際遠吠えだけど)、30本書いてきた負け犬には負け犬なりの信念つーもんもある。たまにガブッと噛みつきたくなるのを許していただきたい。

 

誤解のないように言っておかねばならぬが、上記の意見は演劇人にありがちな思い上がり、「舞台の方が映像よりランクが上」ということではないよ。

どんなに才能のある作家でも「経験なくして今日突然芝居のホンを書くのは無理」という、ただそれだけの意見である。舞台に流れる空気や時間(29.5.9羽生ノート『空気の転換』参照)を知らない作家がどうやって舞台の物語を書くと言うのだ。私が言いたいのはそういうことだ。

今の小劇場界がナメられても仕方がない悲惨な状態であることは確かである。逆を言えばシロートでも「やれる」と気おくれすることなく手が出せちゃう場所なのだ。

どこもかしこも劇団ではやっていけず、プロデュースでしか公演が打てないという状況が続く限り、小劇場の質は永遠に上がらないだろうと思う。この劇団体制の崩壊が、演出家や作家や役者を育てられずにいる。

しかしもうどうでもいいことだ。小劇場がどうなろうが先の短い私にはとんと関わりのないことだ。私はただ自分の信じるやり方で、自分に恥じるところなく芝居を創るのみである。良いホンを書く。良い稽古場で良い稽古をする。ただそれだけだ。

 

ここを読んだ人が、「なにこの人、ちょーえらそう」と思わねばよいが。負け犬の遠吠えをお許し頂ければ幸いである。

 

| 羽生まゆみ | - | 17:58 | - | -
バリの中国人

水着なんか二度と着ることはないと思っていた。本当はビキニを着る気満々だったのだが、三愛水着の試着室で「こりゃいかん」とあきらめた。私調子に乗っていた、と反省した。

まあよい。20年前のワンピース水着がほどほど似合う。湘南の浜辺では無理だが、バリの浜辺ならなんとかなる。

マリンアクティビティなるオプショナルツアーに参加したのだ。海の中で魚たちにエサをやったり、シュノーケリングやバナナボートを楽しんだ。元々海で泳ぐのは嫌いじゃない。久方ぶりの海水の味をとても懐かしく感じた。

しかしこのツアー、日本人が4人に中国人が60人という、日本人にはとんでもなく不利なものであった。

恐れずはっきり悪口書くが、「うるさーーーーーいっ!」というのが大人な日本人4人の心の声であった。特にレンボンガン島に渡る船内での彼らのテンションの高さといったら、常軌を逸しているとしか言いようのないものであった。閉じ込められた空間で、隣りどうしの人間が、なぜ10メートルも離れているかのように叫びあうのかわからない。礼儀正しい4人の日本人は文句も言わず、ただじっと前を見据えて、耐えがたき騒音に耐えるほかなかった。

 

4人と60人という不利な比率ではあったが、おかげで良いこともあった。日本語担当の若くハンサムなツアーガイド、ダルちゃんが、とっても親身に私たちの面倒をみてくれたのである。熱帯魚が行き来する幻想的な海の中を、まるで恋人同士のように手をつないで泳いだ。完璧な日本語をしゃべるダルちゃんは見るところ30歳前後、平らなお腹と分厚い胸板の持ち主である。しめしめであった。

一方中国語係は60人に対してたった2人である。とてもじゃないが「お手々繋いで熱帯魚」というわけにはいかない。うちのダルちゃんと違って、2人とも最後まで海には飛び込まなかった。

2人のうちのリーダー格クマちゃんは、小柄なバリ人の中にあって珍しく大柄で毛むくじゃらで、新大関の高安そっくりだ。狂ったように騒ぐ60人の中国人相手に、中国人以上の大音声で叫んでいた。

その様子を同情しつつ苦笑しつつ眺めていたら、私の心の中を見透かしたようにダルちゃんが言った。

「彼はロシア語のときは小さい声でしゃべる」

「そうなんだ」

と、私は笑った。

クマちゃんは中国語とロシア語の他に日本語もいけた。私とダルちゃんの会話が聞こえたクマちゃんは、やれやれといったふうに小さくため息を漏らしてみせた。

「(中国語のときは)耳が痛い。喉も痛い」

大爆笑した。センスのいい日本語をしゃべるバリ人だ。

ダルちゃんも言う。

「日本語を勉強してよかった。中国語だったら喉が痛くなる」

この会話は当然ながら、中国人の大騒ぎに黙って耐えた私の溜飲をいっきに下げた。そして私の心の中の狭く小さなナショナリズムも満足させた。

 

私たちの泊まったホテルがオーストラリア人だらけで本当によかった。もしそうじゃなかったら、私の旅はまた違うものになっていただろう。

壁のないダイニングルームで過ごした静かで優しい朝食のひとときを、日本で偲べることの幸運を思う。

| 羽生まゆみ | - | 00:44 | - | -
バリのオーストラリア人

渡航1週間前、突然同行者に言われた。

「トイレ、紙がないかもしれないから」

「は?」

「お水が置いてあるからそれでパチャパチャ洗う」

パチャパチャって‥‥意味がわからん。

「たとえ紙があっても使用後流さないこと。専用の箱があるはずだからそれに捨ててね」

私は平静を保ちつつ、静かに尋ねた。

「なぜ今まで黙っていた」

「異常なくらいトイレにうるさいから。行かないって言いだす」

‥‥なるほど。

同行者はきっぱり言った。

「もうキャンセルは無理だからね」

 

心配することはなかった。バリのトイレは掃除が行き届き、どこも清潔だった。バッグにトイレットペーパーをしのばせて歩き回ったが、紙のないトイレなど1コもなかった。使用済みペーパーを流せないのはちとつらかったが、アロマオイルを焚いていたり、激しく良い匂いのするハンドソープが置いてあったりで、その心遣いのおかげで無事しのぐことができた。

バリは良い匂いのする島だ。どこもかしこも良い匂いがする。あの匂いが懐かしい。来週にでも戻りたいくらいだ。来週戻るのは無理にしても、再来年あたりどうだろ? もういっぺん行きたいなあ。

熱帯に属するバリ島は、まさに『レイニータウン』の世界であった。私は湖の底にある寺院を仏教の寺として描いたが、ヒンドゥー教でもよかったかなあなんて、文字通り宗旨替えしそうになった。また、観光客相手のレストランや、ホテルのロビーやダイニングはまさに『レイニータウン』の舞台美術そのままで、本当にこういうとこのお家って壁がないんだ、と感心してしまったよ。美術の登子さんはきっとバリ島経験者に違いない。

 

楽しかった時間は様々にあるが、私が特に楽しかったのは、その壁のない食堂で4度過ごした朝食のひとときであった。おいしいスイカジュースもトーストも楽しんだが、しかし私が最も楽しんだのは、朝食よりも何よりも、オーストラリア人であった。私は毎朝ラリア人ウォッチングにいそしんでいたのである。

なにしろこんなにたくさんのオーストラリア人(朝の食堂に4、50人くらい集まっている)を見たのは初めてである。ホテル客の90%がラリア人だったのだ。デカい。とにかくデカい。私なんぞオーストラリアに行ったらガリガリの部類である。

それから最も特徴的だったのが、半分以上が刺青を入れていることだ。私のウォッチングによると男子だけなら80%を超えていたと思う。意匠はたいがいがしょぼい。日本のヤクザが背負ってるもん見たらびっくりして飛び上がるだろう。

なぜ刺青を見ることができたかと言うと、ラリア人男子のほぼ全員が(女子の多くも)、半パンにタンクトップ姿だったからである。これにも驚いた。一人くらい「今朝はTシャツとジーンズを着たい気分」なんて人が居てもいいと思うのだがまったく見なかった。リゾート地だけではなく、オーストラリアの日曜日もこれが定番なのかしら、とオーストラリアに興味の尽きない私であった。

みんなほとんど大きな声を出さない。静かにしゃべる。ガハハと笑わない。朝食の席では大人も子供も品良くシリアルを食べる。シリアルを食べる姿が当然ながらさまになっている。さすがガイジンである。

 

長くなった。バリのことを書こうと思っていたのになぜかオーストラリア人のことになった。慣れないのでなかなか旅行記は書けんわ。海で中国人ウォッチングもしたので今度書くね。60人の中国人と4人の日本人のお話。

 

| 羽生まゆみ | - | 18:03 | - | -
押す(体幹トレ日記84)

トレーニング中に脱いだシューズのことをすっかり忘れて、そのまま帰り支度をしてしまった。

ロビーへ戻ると、アキが今日はシューズをスタジオに置いておいていいと言う。そして、トレーナー達のシューズがずらりと干してある窓辺の一角に私のシューズも並べられた。うふっ、なんだかトレーナーの仲間になったみたい。プロだわ。

平等好きなアキだが、なぜかシューズだけは特別扱いしてくれる。昨年、トレーニングのあとそのまま北陸旅行へ出発したことがあるのだが、その時もシューズを預かってくれた。

ウェアはともかく靴を持っていくのはつらい。私にしては珍しく勇気を出して頼んでみた。

「預かってもらえない?」

小さな声でお願いしたのは、むこうでトレーニングをしているヒロに聞かれたら困るからである。絶対「ダメ!」と怒られる。

アキは「いいっすよ」と自分のロッカーに入れてくれた。助かった。

で、お礼に福井の恐竜博物館でなんとかザウルスのお人形を買ってきてあげた。まわりはなんでアキにだけお土産があるのか不審に思っただろうし、アキ自身も靴のことなんぞ忘れて不審の表情だったが、まあそんなわけであったのだ。旅行中、たびたび靴のことを思い出しては、私の靴のせいでアキのロッカーがとんでもない臭いになっていたらどうしようと心配したものだ。

 

「重たい重たい」と文句言いながら重たいもの持つのが好き。今日もきつかったけど、重たいもの持たせてもらえたので楽しかった。12圓離戰觀織瀬鵐戰2個を両手にぶら下げて走り回った。アキが「もっと早くっ」と私の背中を押すし、ちらっと鏡を見たらあまりのかっこ悪さに笑ってしまった。ネコに追いかけられるニワトリだ。

アキに「押される」のが好きである。

私にはご機嫌が悪くなることがたまにある。(トレーナー達はそれを「不貞腐れ」と表現して私を批判するが、私はこれまで不貞腐れたことなんぞいっぺんもない。考え事をしているだけだ。)とにかくそんな時、私は固まる。一点を見詰めたままテコでも動かなくなってしまうのだ。「瞑想」だの「凝固」だのと悪口言われる状態である。

ある凝固時、アキが静かに言った。

「僕のトレーニングが嫌なんですか?」

私は黙っていた。

するとアキは静かに私を床方面へ押した。それは静かだったけれど抗えない強さがあって、私は難なく四つん這いになってしまったよ。それから何ごともなかったかのようにストレッチが始まった。

懐かしい思い出だ。アキのトレーニングが嫌だったことなどいっぺんもない。そういう問題じゃないのだ。感謝している。たくさんのことを静かに、丁寧に、教わってきた。

アキとロビーで話すひとときが好きだ。いろんなことを教えてくれる。GOTやALPやHDLやTRXのことやなんかをね。

あ、それから「カモン!」と「レッツゴー!」も好き。発音きれいだし、これ聞くと、わくっとやる気が起こる。

 

| 羽生まゆみ | 体幹トレ日記 | 00:41 | - | -
美女と野獣

ジムでずんばをひと踊りして帰ろうとしたら、受付で新しい会員カードをくれた。ん? ゴールドカードだ。

「今日が10周年です。これ、記念品」

可愛らしいお嬢さんが渡してくれたのは、時計付ペン立て。わりと便利かも、温度計もついているし。

「今後はここでのお買物は全て10%引きになります」

お買い物かあ。10年通ってここでお買物したことないなあ。

それにしても偶然が重なった。つい2日前、トレーニングスタジオの方でも400回記念だったのだ。こちらではプロテインをごちそうしてくれた。100回のときも200回のときも300回のときもすーっと過ぎ去っていったのに、400回だけなんでお祝いしてくれたのかわからない。たぶんたまたま気付いちゃったのだろう。

担当はリュウドであった。

「400回記念に400回のミット打ちをやる」

なんでっ。意味わからん。

400回どころか1000回は打ったね。久々にキックもやって、現在脇腹と背中がとんでもない筋肉痛だ。

 

筋肉痛でも映画には行く。

『美女と野獣』を観てきた。

お姫さまと王子さまのお話が大好きなのに、なぜかこれまで『美女〜』は無視してきた。『美女と野獣』も、グリムやアンデルセン作品と同じく元は伝承童話である。私は子供の頃から新作童話があまり好きではない。『美女〜』は伝承童話なのになんで無視していたかというと、ヒロインの相手がいくらなんでも野獣はないだろ、ということだったのかもしれない。

また「見た目より中身が大事」という偽善ぷんぷんのテーマが嫌だったのかもしれない。(民話の『美女〜』にこのテーマが存在しているかは知らない。たぶんしていないだろう)

民話というのは異種間結婚のお話がやたら多い。人間が、狐やら鶴やら蛙と結婚する。これらの動物がOKで野獣はダメでは野獣にホント申し訳なかった。映画を観た今、心から反省している。

野獣、ステキだった。人間時代より野獣時代の方がセクシー。ラストシーンで王子に戻るのはわかっていたから楽しみにしていたのだが、いざ野獣の皮がむけて王子が現れたときは「へ?」てなかんじだった。野獣疲れでへろっとしていた上に胸板の厚さが10分の1になっていた。

やっぱり私は、顔の造作や心映えより、分厚い胸板を重視するらしい。

 

違う意味で私は「見た目が大事」なのであった。

 

| 羽生まゆみ | - | 01:18 | - | -
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