羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
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私の稽古場

『プリンセス・ショック』で「花笠音頭」を踊ったのは良い思い出だ。ハジメ、準一、由紀、Erico と、手練れの者が多かった。シロートなはずのマチャがとても可愛かったのをよく覚えている。稽古場で必ず毎日踊った。稽古の必要もさることながら、私が楽しかったからだ。

ある日、振付・指導を仰いだ藤間紫恵乃先生がおっしゃった。

「石井さんの踊りは味があるから、うるさいことは言わずこのままにしておきましょうか」

私に否やはなかった。石井の持った花笠が他大勢の花笠と角度が違っていてもかまうものか。そんなことはたいした問題じゃない。味がある方がずっと良い。

 

何が言いたいか‥‥‥以下に書く。

 

たとえば石井は、ワークショップで日舞をやることになったら絶対インフルエンザにかかって休むだろう。私が石井んちのドアを蹴破って稽古に引きずってきても、昔私がエチュードでどん引きしていたように、稽古場でどん引きしていたに違いない。

『プリンセス〜』で石井が似合わない「日舞」を引かずに稽古したのは、物語の中でそのシーンを面白いと理解したからにほかならない。そこに「台本」という物語があったからだ。一条天皇という役を通して、石井は日舞を楽しんだのである。

私がほしいのは舞踊家としての技量ではない。役者としての表現力だ。

「あの役者の踊り、うまかないんだけどなーんかいいんだよね」

そんなふうに思ってニンマリしたい。

それは、作品を完成させるための「創作」という作業の中で生まれると信じている。役者は稽古してナンボである。しかし稽古が役者の本分ではない。役者の本分は表現することだ。役者は台詞が喋りたくて、表現したくて、役者になったのだから。

だから、「稽古=技術力」とは断じて思わない。稽古は「何かを生む」ためにあるのだと、私は思う。

 

私の役者達が、稽古のあと公園で木剣を振るのは、稽古の前にマックで台詞を合わせるのも、稽古場が充実しているがゆえである。

充実の不足した座組で、どうして役者が自ら動くだろう。チームワークが生まれるだろう。

私の役者達は私がガミガミ言わなくても当たり前のように稽古を休まない。

稽古はつらい。泣くこともある。前回の稽古場で優太がどんなにつらかっただろうと思うと、泣かした私が泣きそうになる。でも優太は決して稽古を休まなかった。

そして優太は、苦しみに勝る喜びを得たと信じる。100回の「ワークショップ」をやるより早く、優太は「本番のための稽古」で役者になったと信じる。

 

劇団ピンクノイズの役者、山田京太郎が退団した。

「本番しかしたくない」と言ったそうだ。(「本番のための稽古しかしたくない」という意味だろうと思う。いきなり本番ができるわけないからね)

この言葉への意見はさまざまにあるだろう。けれど私は、彼の気持ちが理解できる。

本番の舞台で生きたい。

これは役者の当然ながらの衝動である。この衝動がない役者は役者をやめた方がよいと思う。

私にも、「舞台に出たい」と血を吐きそうなほどに念じた日々がある。

 

さて、少し玉組を動かしてみようか。

私の衝動は「書きたい」だ。

 

オワリ

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