羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
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青を刺すと書いて入れ墨と読む

世間が彫りもんの話題でにぎやかである。パパになった若い芸能人が彫物を入れて、それを批判したら今度は批判した人が批判されて大騒ぎ、てな構図である。にぎやかなのはよいが、なんだかハナシが人権問題になっているのが気にかかる。

入れ墨は各個人の「嗜好」の問題だからそもそも批判するのはおかしい。彫物を入れたからと言って他人にとやかく言われる筋合いはないのである。しかしその批判を「人権問題」にするのはものすごく的外れだと思う。つまり「入れ墨を入れた人を差別するのはよくない」という「良い意見」のことである。

入れ墨批判を、人種差別や身障者差別といっしょくたにするのは違うだろと思うのだ。そんな大そうなことではない。そもそもその多く、特にアウトサイダーの皆さまにおける入れ墨は、差別されたいがため自ら入れるものである。差別されたくて入れているのだ。

 

彫物が嫌いな人に理屈はないのだ。ただ単に嫌いなだけだ。

私の知り合いにピアスの穴を見るとゾッとするという人が居る。彫物もそれとおんなじようなことだと思う。彫物を見るとゾッとするだけで、そこに理屈はない。

私はピアスの穴が二つあり、近く三つ目を開けるつもりの人だが、「ゾッとする」と言われたときに「なるほどなあ、そういうものか。そういうふうに感じる気持ちはわかる」と納得したものだ。理屈ではないのだ。その人が穴を見るとゾッとするんだから仕方ないではないか。そのことについて私が「ゾッとするのはおかしい」と理屈を言ってみてもはじまらない。

 

では私が彫物を好きか嫌いかと問われれば、これはなかなか返答がむつかしい。

私はヤクザの紋々が大好きである。『ロンググッドバイ』の主人公二人にも背負わせたくらいで、ホンを書くときはネットを駆使して写真を見まくった。背中からお尻までびっしり彫られた紋々に、わくわくはしてもゾッとはしなかった。図柄に付けられた「抱き鯉 金太郎」なんていうタイトルは、私の創作意欲をおおいに刺激してくれたものである。

ところがである。現代の現実において、前方を歩いている男の子のふくらはぎに有刺鉄線が巻き付いていたり、女の子のむき出しの肩に蝶が止まっているのを見るとゾッとするのである。ごしごし洗ってサッパリさせたくなる。

ヤクザと男の子の差が何なのかはわからない。彫ってある「場所」の問題なのか「図柄」の問題なのか。

でも私は有刺鉄線の男の子やチョウチョの女の子と知り合ってお話すれば大好きになる自信がある。第一印象が悪いことは認めざるを得ないが、私はやんちゃな若い子は好きだし、その子のことが好きになれば有刺鉄線もきっと好きになる。

そして「できればそんなものは彫らない方がよかった」と、静かに説教するだろう。

 

第一印象が悪くなるリスクを、ゾッとする人が居るということを、彫物を入れた方々は寛容に受け止めなくてはならない。それが大人の佇まいってもんである。芸能人ならなおさら、批判に傷つきムキになって反論してはいけない。人権を持ち出してはならない。愛と決意のために彫ったのなら、黙って耐えてこそ、それは重みも増すというものだ。

私はDU PUMPの一茶が大好きである。彼の腕にびっしり彫物がほどこされていても私の愛は変わらない。

けれど、TVの画面に彼の彫物が映ると、私は一瞬視線を逸らしてしまう。それは理屈ではない。そういう人が居るということだ。たくさん居るということだ。

時代ものの小説を読んでいて、登場する粋な江戸っ子、たとえば飛脚や鳶や町火消が紋々を背負っていると私のテンションは上がる。日本の入れ墨は青を刺して描かれる。細かいルールと神業のような技法がある。

 

ゾッとはする。怖い。それでも、立ち昇る伝統や文化や芸術の匂いと物語に、私の胸は躍る。

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