羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
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年賀状のこと

年賀状という習慣を地道に続けている。

私はほとんど友人知人と「会う」ということをしないので、年賀状のやり取りがなかったら過去の知人は完全に抹殺ということになってしまう。

高校や大学時代の友人、最初に所属していた劇団仲間などと微少ながらまだ繋がっているのは、年賀状のおかげである。彼らとはもう数十年会っていない。喋ってもいない。メールも手紙も出さず、ただ年賀状だけの付き合いである。

だから年賀状があってよかった。私は思い出コレクターではないので、手紙や役者の頃の台本などほとんど捨ててしまっていて、過去を思い出す「よすが」というものがまるでない。思い出さなければ全てが忘却の彼方、無かったことと同じになってしまう。それはちょっと悲しいではないか。抹殺は悲しい。

高校時代の友人から年賀状が来ればその瞬間、校舎の階段が頭に蘇ったりする。役者時代の仲間の年賀状は稽古場の匂いがする。そんなわけでお正月、ハガキをめくりながら、大昔にタイムスリップするひとときが好きだ。

 

この頃は、年賀状の赤ちゃんの写真を楽しみながら見るようになった。若い頃は元同級生の息子や娘に何の関心もなく、子供の写真を年賀状に載せるという発想がどーにも理解できなかった。(もっとも私は自分の写真を載せてきたので、送りつけられた多くの人が「この発想、理解できない」と思っているに違いない。)

この頃赤ちゃんの写真が楽しいのは、それを生んだのが私の女優たちだからである。

「ええっ、ママになったか!」と、感慨深いのである。

赤ちゃんの写真をまじまじと眺めてしまう。とても楽しい。

旧友の子供の写真に関心がなかったとはいえ、それでも生まれた時からずーっと成長ぶりを見てきた(写真だけで)わけだから、彼が結婚したと聞けば「おお、そうか」とこれもまた感慨深くないこともない。

で、結婚したならこれでそろそろ息子の写真を載せた年賀状も終わるなあとしみじみしていたら、今年は孫の写真であった。

「げげっ、また1からかいっ」

長い長い成長を、私はまた1から見守ることになった。

 

そして私は私で相変わらず、私自身の写真を送り続けるだろう。

成長はもう止まったけど、一年一年美しくはなっていくよ。

 

たぶん。

 

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