羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
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賛成! でいいじゃん

怒涛の如く更新していた2月から一転、すっかり書き込みがなくなったこのひと月。もちろんこれはホン書きに入ったからである。と言っても忙しいからではなく、ちっとも進んでいないのでブログを書く気にならなかったのだ。

さてそんな3月4月、世の中が恐ろしいことになっている。優太もEricoも、予定していた芝居の公演が飛んだ。まあ仕方がないと思う。稽古場にしろ劇場にしろ小さな密閉空間で、今日まで小劇場からの集団感染が発生していないことを奇跡のように感じる。(クドカンの稽古場は大丈夫だったのだろうか。役者やスタッフたちが無事ならよいが。)

12月の私たちの公演がどうなるか、今は考えたくない。とにかくホンは仕上げる。やれると信じて、私も制作陣も準備を進めている。けれど頭のどこかで、やれない場合もあることを考えておかねばならないし、覚悟もしておかねばならない。

私は普段すぐオタオタするし、気も小さいし、決断力がないし、傷つきやすいガラスの心臓の持ち主だが、なぜか大事の前では突然人が変わったように肝が据わる。「あ、今据わった」と自分でわかる。だから、決断が必要になったときの私を、あまり心配していない。正しく判断するだろう。

小劇場の公演など、人の命に比べれば取るに足らないものである。私の創る芝居など特にそうだ。

芝居は芸術であると同時に、ただの娯楽でもある。芸術と娯楽、どこで別れるかと言うと、創ったのが誰かで別れる。作った人が芸術家なら芸術だし、私が創れば娯楽である。

野田秀樹は当代随一の芸術家である。私もそう思うし、世間の折り紙付きだし、彼自身もそう思っている。

彼は政府から公演の自粛要請を受けたとき、「劇場の閉鎖は『演劇の死』を意味する」といった意見書をHPで発表した。これについてどう思うかは、今頃私が書くことでもない。賛成にしろ反対にしろ、世間の意見は様々に出ただろう。私の賛否は今更になる。

だから賛否ではなく、まったく関係ないことを少し。

私が嫌だったのは、この「演劇の死」といった抽象的な言葉である。すぐさま、やはり芸術家である平田オリザが「連帯する」と声明を出したが、これも嫌だった。芸術家たちが芸術家らしい言い回しで良い気分になっているとしか感じなかった。「そんな場合か」と言いたかった。

「閉鎖するべきではない」

「賛成!」

でいいじゃん。と、芸術家ではない凡庸な演出家は思ってしまったのだ。

 

誤解のないように言っておくが、私は野田さんが大好きである。私が会場係をやっていたある集まりで、野田夫妻をトイレにお連れしたのが、羽生一生の栄誉と思っているくらいのファンなのである。上京してすぐ、『夢の遊民社』を観たときは本当にうれしかった。今でも尊敬は増すばかりである。

正真正銘の芸術作品だと思っている。

ただなんだかさ、ちょっとばかり引っかかってしまったの。

平田さんの「連帯する」がなければそれほどでもなかったかもね。

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