羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
お稽古事

やりたいお稽古事がいっぱいある。『髑髏城〜』の影響で殺陣を習いたいと思ったし、あと和太鼓と生け花。(あっ、全部ニッポンだ。)

お芝居から解放されて現在ご隠居さんのような心持ちになっているからかもしれない。芝居に気持ちが入っていると他のことをやる気にならないからね。

そうは言ってもボクシングとジムで手いっぱいだ。なにしろ週5で身体を動かしている。それなりに疲れるので優雅にお花を活ける余裕があるかどうか。殺陣と和太鼓は当然ながら肉体的疲労が激しいだろう。

 

お稽古事と言っていいかわからないが、筋トレをやっていた4年半の間行っていなかったスタジオレッスン「マーシャルワークアウト」を復活させた。殴ったり蹴ったりして戦うやつだ。短刀は持たない。素手である。

それにしても4年半休むと勘が鈍ったのか、振りつけ(手)がまったく覚えられない。早すぎて迷子になり途中で棒のように立ちすくむことしばしばである。恥ずかしいし悔しい。なので逆に燃えて休まず通っている。

手さえ入れば誰よりもステキに動くことができる。なぜなら女優である私には想像力と表現力があるからである。私の戦いを見ていれば、そこに見えない敵の姿を見ることができる。私のバックキックは天魔王も一撃で倒せる素晴らしさだ。でも7手が限界。これ以上の手があると棒立ちになる。長引く戦いは負ける。

この「マーシャル」と「ずんば」のレッスン終了後トレーニングルームに移り、つまり週2日、1時間みっちり筋トレとストレッチをやっている。もちろん筋トレはパーソナルでやっていた頃のようにはいかないが、自分なりにけっこう追い込んでやっている。強度はともかく時間なら今の方が長い。パーソナルレッスンも1時間だったけどそのうち15分はウォームアップのランニングだったからね。(実はこの15分が私には不満だった。長すぎる。)

今はスタジオレッスンですでに身体は温まっているから走らない。強度の低さが弱点なのはわかっているからインターバルはほとんどない。そう、私は自力で、一人で頑張っている。

 

もう一つのお稽古事が言わずと知れたボクシングである。ボクシングは楽しいけどやっぱり難しい。身体の力を抜いて打つという技術が私にはなかなか習得できない。なにもかも全力なのが私の欠点だ。「様になる」が現在の目標である。すてきにシャドウができるようになりたい。

ボクシングジムではなるたけ目立たないよう気を付けている。練習生の中で私が飛び抜けて年上なのは間違いなく、普通にしているだけで浮く。しかも女だし。浮くのは嫌だ。恥ずかしい。ウエアだってなるたけ目立たないよう地味なTシャツである。本当はムキダシでサンドバッグを打ちまくりたいのだが、とてもそんな勇気はない。第一ボクシングではウエアの基本は長袖のようだ。試合はあんな半裸なのに、練習中は長袖のシャカシャカやパーカー、長TとTシャツの重ね着といったものが上手な人の主流である。

 

文系のお稽古事もやっている。書道のお稽古は再開してこの5月で7年になる。月日のたつのは早いなあ。入門当時すでに兄弟子だった小学生がこの春から高校生になった。

受験勉強が終わり、

「これまでより書道に時間が取れると思います」

おお、なんという頼もしい言葉。先生も嬉しそうだ。私も嬉しい。書をやる男子高校生はかっこいいと思う。男の子には力強い漢字を書いてもらいたいというのが私の勝手ながらの要望である。学生の展覧会へ行くとたまにガツーンとした良い漢字を観ることがあって、それがたいがい男子なのだ

私自身は「かな」に力を入れたい。「かな」の芸術性の高さに感動する日々である。いったい誰がどのように「かな」を発明したのか知らないが(まあ平安貴族だろうが)たいしたものである。

なかなか上手にはならない。生きているうちに作品は書けないだろうし、自分の書体を見つけることもできないだろうが、こうして書の知識を深めていることを幸福に思う。今頃になってもまだ学べることがあるということ。

 

先生とパーソナルで向き合う週に一度の時間は静謐である。

墨の匂いが心から好きだ。

 

| 羽生まゆみ | - | 00:54 | - | -
髑髏城っていうネーミング好き

『髑髏城の七人』を、ゲキ・シネで初めて観た。面白かった。『髑髏城〜』がミュージカルだとは知らなかった。

実は新感線のことはアクの強い役者がそろっていること以外あんまり知らないのだ。とんでもなく売れている劇団で、私には雲の上の人、おとぎ話の世界に住んでいる人たちである。

転換がどうなっているのか最後までわからなかった。カーテンコールの映像で初めてドーナツ状の劇場であることがわかった。ドーナツの穴の部分が客席なのである。なるほど、全部の装置を周囲に立て込んでおいて、転換のたびに舞台(ドーナツの食べる部分)を回しておるのかと感心していたら、じゃなくて客席の方が回っていることを、帰ってネットで調べて知った。すごいわ。行きたい。私も回りたい。

早乙女太一の殺陣がしなやかだった。柔らかくて速い。独特の殺陣だったなあ。好きかも。

脇を固めた梶原善や栗根まことなど実力派俳優陣の芝居も良かった。カジゼンは何を演じてもなーんか好き。上手そうに見えないのに上手い。

一方、松雪泰子は感心しなかった。舞台の経験があまりないか、あるとしても演出にダメを出されてこなかった役者である。間がもたなくてずーっとモニョモニョ無駄に動くのが気になった。せっかく階段に足をかけても2秒で外してしまうとかね。これはシロートがよくやるやつだ。声も前に向かわず天井に向かっていた。すぐに直せることだから惜しいなと思った。

ホンに関しては私とはジャンルが違い過ぎて、何かを言ってよいのやら悪いのやら。ストーリーはともかく言葉は稚拙である。先だって漢字について一家言をぶったが、使用されている漢字は固有名詞を除くとほぼ中学で習う漢字でまかなわれていると思った。しかしこれも余計なお世話で、文学性よりエンターテイメント性を優先すれば当然わかりやすい言葉の方がいいに決まっている。(でも恐ろしい天魔王が重々しく大マジメに幼稚な言葉を使っているとちょっと興醒めする。)

いかんいかん。演出家はすーぐイロイロ言いたがる。

 

出演した役者は楽しいだろうなあ。私も出たい。ヒロインの沙霧がやりたい。短刀を逆手に持って戦うのは子供の頃からの憧れである。捨之助と舞台を走り回りたい。階段を猛スピードで駆け上がり駆け下りたい。

役者をやっていた頃、どうしてこういう役をもっと追い求めなかったのだろう。私はいつも、本当に好きなモノ(人)に対して臆病である。ガツガツ行けない。むき出しで闘うことができない。興味のないふりをする。そして後悔する。

| 羽生まゆみ | - | 00:41 | - | -
新年号決定につき漢字のこと

漢籍から選ぶ方がいいなあなどと思っていたので万葉集と聞いてちょっと残念だったが、テレビで学者さん方の説明を聞いているうちにだんだん「万葉集で良かった」などと思うようになった。素人とはしょせんそんなもんである。エライ人の意見にコロッと影響される。

このように私を含めて素人があーだこーだとわいわい盛り上がっている年号騒ぎ、祝い事だから明るくて大らかで、なかなかよいものである。

でも素人が騒ぐのはいいが、政治家やら評論家やらが真面目な顔で文句を言っているのを聞くとゲンナリする。もう決まっちゃったんだからさあ、しょーもないケチなんかつけないでみんなで祝おーよ、と言いたくなる。

「令」という美しい漢字のどこをどう押せば「右傾化」に繋がるのか理解し難い。日本的なものになんでもかんでも「右」の烙印を押す傾向があるのは恐ろしいことだと思う。これがヒートアップして極端なことになると、文化財を焼いたり壊したりの大参事になるからゆめゆめ油断ならぬ。

 

書道家が急に忙しいらしい。いろんなところで「令和」と揮毫しなくちゃいけない。はっきり言ってこんな稼ぎ時はめったにあるもんじゃないから、これもなんだか微笑ましいし楽しい。この頃では「書」が活躍する機会は滅多にない。

それでもここぞというときには「書」が登場する。今回の年号発表もそうだし、年末の清水寺とかね。身近なところでは、先だって高校の校門の前を通りかかると『ナントカ高等学校卒業式』が墨痕鮮やかに大書されていた。そっかあ、やっぱり今でも「お式」は墨書なんだなあと感慨深かった。ポップアートじゃダメらしい。

漢字が廃れなくて本当に良かった。実は漢字の危機は過去何度もあった。江戸時代にもあったし、明治初頭には例の西洋化政策で、日本語を捨てて公用語を英語だかフランス語だかにする案が出たというからビックリだ。これは漢字だけではなく日本語そのものの廃止だっから本当に危なかった。戦後はGHQの「タイプで打つのが難しい」というすっとぼけた理由で廃止になりかけたし。

漢字がなくなっていたらと想像するとゾッとする。私たちの書く文章はなんと味もそっけもない、表現の乏しいものになっていただろう。もちろん喋る言葉も同様である。幼稚なものになっていたはずだ。

「日本語は祖国である」という言葉を何かで読んだことがある。本当にその通りだと思う。私たちは当たり前のように日本語を喋っているが、日本人だから日本語を喋るのではなく、日本語を喋るから日本人なのだ。日本文学者のドナルド・キーン(この前亡くなった!)が言っていたように、礼儀正しいから敬語が生まれたのではなく、敬語があるから日本人は礼儀正しいのである。言葉は私たちの「芯」であり「核」である。

日本人の特質である情緒は漢字と無関係ではない。一つの漢字にたくさんの読み方があり、たくさんの意味があり、たくさんのニュアンスがある。それらを駆使して私たちはみんな、日頃から気持や情景を描写している。漢字が私たちの思考力や表現力を深めているのだ。そしてそんな複雑な漢字を使うことで、日本人は物事の複雑さを学んできたのだと思う。人は、物は、単純ではないということ。複雑であるということ。

 

万葉集の詩は一見漢字だが、あれは万葉仮名と言われる仮名である。つまり漢字の意味に関係なく音を借用して言葉にしている。暴走族の「四露死苦」みたいなもんだ。(極端な例だよ。四露死苦が万葉仮名の中に所属しているか知らん。)

令和が出てくる序文は漢文だから、ちゃんと漢字に意味がある。だから万葉集でも「序文」から選ばれたのだと思う。年号には意味がほしいよね。

 

なんだか今日は講義みたいなことになってしまった。漢字や仮名や日本語を語り出すとキリがない。お許しを。

| 羽生まゆみ | - | 00:47 | - | -
ダラダラな近況

お芝居をやっていないとものすごくナマケモノになるのがこの頃の私だ。

『シリウス〜』の稽古に入っているときは、「よしっ、終わったらいっぱい書くぞ!」と気合い充分だったのに、いざ公演が終了すると毎日ダラダラするばかりで、PCの前にさえろくに座っていないのは羽生ノートが更新されていないのを見れば明らかである。

一年365日、眠っているときでさえ芝居のこと劇団のこと役者のことが頭から離れなかった日々はもう遥か遥か昔のことである。

もういいの、心行くまでダラダラしたい。なんだか身体が重たいし頭も重たく、日々の体調があまり思わしくない。先日なんか検診で血圧を測ったら、上が80下が50であった。体温は35度1分しかないし、思わず先生に「私、死にかけてません?」と訊いてしまったくらいだ。

しかし、たったひと言で片づけられて唖然となったね。

「ちょっと低いですね」

そ、それだけ? 何か質問することはないの? 「ストレスは?」とか「睡眠は?」とか「食欲は?」とか、なんかあるでしょーよ。

あったまきた。いかん。病院を替えねば簡単に死んでしまいそうだ。

自分でなんとかするほかない。とりあえず体温を上げねばと生姜を爆食いしている。口が痛い。

 

もっとも身体が重たいのは物理的なことかもしれない。体重が増えたのは隠しようのない事実である。ボクシングジムに週3日通い、フィットネスクラブもずんばだけではなくマーシャルを再開し、その際は必ず筋トレもやっている。それでも体重が増える。数だけはこなしているが追い込みが足りないのだと思う。自分に甘いということだ。

運動は楽しい。頭が重たくても身体がだるくても、とりあえず動き始めるとシャキッとする。再開したマーシャルは振りが覚えられずオタオタしまくりだが、でもボクシングのおかげでフォームが本格的になった。アッパーをお見舞いするときの鏡の中の私にうっとりしている。

 

書道も続けている。しかし昇段試験になかなか合格しない。当然である。週に1回くらいのお稽古で簡単に上がらないから「段」てもんだ。これでガンガン上がっていたらむしろ協会の先生方に不信感を覚えるね。

本当はおウチでもっとお稽古しなくてはいけない。しかしこれはPCのスイッチを入れる以上に、半紙を広げるのがおっくうである。紙や筆を出しっぱなしにしていてもいいお習字部屋があったらいいのに。水道も完備されていて振り返ったら筆や硯が洗えるといいなあ。

あと何をやっているかというと何もやっていない。たまに映画や、美術の展覧会に行き、ロビーや公園でソフトクリームを食べるのを楽しみにしているくらいだ。

そんなことくらいかなあ。芝居とは程遠い日常だ。時々役者の顔を思い出すこともあるがほんとに時々である。

一番思い出すのは『サンタクロース〜』のときの役者たちだ。ドアが開かなくてバタバタだった4場の役者たちそれぞれの顔と、「ハンバーガー食べる?」と登場した際の千歳の顔がなぜかしょっちゅうよみがえる。

 

久々の羽生ノートなので近況をまとめてみた。

生姜を食べて口が痛くなった近況なんか発表しても仕方ないよね。鏡の中の私にうっとりしている近況も。

近いうちになんとかドッカーンとした事件をお伝えしたいものである。

 

| 羽生まゆみ | - | 02:40 | - | -
思い出だって思い出さないと…

掲示板が突然消えてびっくりだ。よくわからんがいろいろ事情があるのだろう。思い出が消えてしまったのがちょっと寂しい。

そういえば『羽生ノート』も、書き始めの頃のものが途中でなくなっちゃった。当時はネタも豊富で筆力も今よりマシだったから書くのが楽しかった。ゲットとの別れのシーンなんかかなり上手に書けていた記憶がある。匡人の悪口も筆が冴えわたっていた。消えたのはもったいなかった。

そういえば最初の頃の羽生ノートから何篇かを選んでエッセイとしてまとめたものが存在する。HP上で発表したことがあったかなあ‥‥あんまり思い出せない。そこそこ良い出来で自己満足に浸ったはずだ。みんなにも読んでもらいたいけど、退団者が活躍しているから完全な時期外れで、今読んでも面白くないか。

 

掲示板は一から出直しで、その最初がミケのライブネタなのはちょっと良かった。写真もいつもの女子5人が勢揃いしているし。玉組って結局最初から最後まで女子頼りだったなあと思う。

強い男子が私たち女子をぐいぐい引っ張ってくれていたらどんなに幸せだっただろう。男子(カズさんだのマーさんだのゲットさんだのゴローさんだの‥‥あ、モミーさんも)が女子の重たい荷物のほんの少しを持ってくれていたら、今の私の不幸はなかったな。と思うが、私の荷物を引き受けてくれるどころか、彼ら自身が私にはめっちゃ重たかったんだからどうしようもない。一人につき100圓らいあった。

 

幸せだと思う瞬間もある。いまだにホンを書いているではないか。『シリウス〜』の本番を観ながら客席で「あー、幸せだ」と思っていた。(役者がトチるたびに「あー、不幸だ」とも思っていたが。)

繭子(小雨)や歩太と別れてひと月がたつが、会いたくてたまらない。こうやって書いていると涙ぐんでしまうくらい会いたい。

ホンの登場人物の多くが私にはリアルだ。どこかで生きているような気がしてしかたない。あれからひと月、繭子と歩太はもうお喋りはしていないけれど、散歩する繭子に付き添う歩太の姿を私はリアルに想像することができる。

そして想像できる幸せを思うのだ。私はたいした人間じゃないし後悔や失敗の多い人生で、なので私を「運のいい人チーム」に入れてくれなかった神様をめっちゃ恨んでいるが、ただひとつ、物語を創る力を与えてくれたことにはしぶしぶながら感謝している。

その力のおかげで私は孤独ではないし、人生にわずかながらの彩りもある。友達は皆無だし、それどころか「ただのい知り合い」さえ微少な私だけれど、私が創った物語にわくわくしてくれる「知り合いじゃない人たち」の存在に、私はどんなに大きな喜びをもらっているだろう。

役者たちも、好き嫌いは別にしても、ともかく私を忘れることはないはずだ。死んだら偲んでくれる役者さえ一人二人は居るかもしれない。そして私の物語で演じたキャラを懐かしく思い出すだろう。つまり彼らとの絆も物語あってこそなのだ。

 

今日は何の話をしたかったかというと「思い出」と「記憶」だったのだがあまり上手に書けなかった。

先日Ericoと、今回のどらえもん映画の宣伝コピーがちょっといいねという話が出て、私はしずかちゃんバージョンの「思い出だって思い出さないと消えてしまう」てのが心に残っていたから。

それと、NHKドラマの『トクサツガガガ』の最終回は、「長い間忘れていても、ふとしたきっかけで好きだった気持ちを思い出す」がテーマだった。そんな二つに「掲示板が消えた事件」が重なって、この書き込みになった。

 

やっぱり初期の『羽生ノート』をアップしようかなあ。

Ericoが、今では無関心なカズさんや大嫌いなマーさんを好きだった気持ちを思い出すかもしれないから。羽生ノートがふとしたきっかけになれば幸いである。

| 羽生まゆみ | - | 18:03 | - | -
セコンド(練習生日記4)

『シリウス〜』の稽古期間は一ヶ月ちょいしかなかったので、休みがほとんどなかった。息もつかずぐわーっと入り込んでいたから、稽古も終わり近くになった頃、急に不安になった。

「公演が終わったら何をしていいのかわからない」

私が心配を口にすると、Ericoは言った。

「ボクシングがあるじゃないですか」

まあ、そうだけど‥‥

Ericoが笑いながら言った。

「試合のときは私と純一でセコンドにつきます」

勝手に決められた純一が驚いて言った。

「ゴングと同時にタオル入れていいならやりますけど」

私のボクシング姿が痛々しくて見ていられないらしい。

ふん、失礼な。

 

ボクシングの練習はさっそく再開した。

先日トレーナーにマスボクシングを指示されて仰天した。

マスボクシングとは、本気を出さずに寸止めで行うスパーリングのことである。ときどきやっているのを見たことがあるが、マイシューズやマイグローブを持っているような上級者がやるものだと思っていた。

やだあ。恐いというより恥ずかしい。こんな初心者なのに。

相手は上級者の壮年男子である。シューズやグローブがマイであることはもちろん、バンデージも私のようなスポッと装着する簡易タイプではなく本物である。ぐるぐる巻くやつ。

「ナントカさん、羽生さん始めたばっかりだからよろしく」

トレーナーがそう言うと、ナントカさんは私ににっこり笑いかけてくれた。あー良かった。睨みつけられたら(タイトルマッチでありがちなやつね。記者会見のときなんかにやるやつ)どうしようかと思っていた。

リングに上がり、ブザーと同時に3分間のスパが始まった。ジャブとストレートとフックしか持っていない私にどうしろって言うのよーォ、と思ったが心配無用だった。せっかく持っているフックを使用するチャンスさえ無かった。ジャブとストレートを交互にくり出すだけの、ほとんど幼稚園児のケンカ状態であった。純一が居たら絶対にタオル投げられていたと思う。

セコンドからトレーナーの声が飛び、それはちゃんと聞こえた。

「四つ打て!」とか「二つ!」とか、「下に飛び込んで!」とか「足動かす!」などの指示である。「まじ、ボクシングだ」と思って感動した。

1ラウンドだけのスパだったけどけっこう息が上がった。ひどいデキだったから、たぶんしばらくやらせてもらえないだろうなあ。

よーし、またやらせてもらえるように頑張るぞと、決意新たな私であった。激を飛ばされるのが好きなのだとつくづく思う。もっと怒られたい。

 

すべての練習が終わってお水を飲んでいたら、ナントカさんが話しかけてくれた。

「初心者とは思えない良いパンチでしたよ」

「ええっ、ほんとですか?」

やだあ、嬉しいじゃん。怒られるのも好きだけど褒められるのはもっと好きだ。

そしてナントカさんは相手のパンチを払う方法を教えてくれた。とっても良い人だ。やっとここでお友達が一人、できた。

| 羽生まゆみ | 練習生日記 | 20:51 | - | -
楽しいお誕生日

Ericoがご飯を食べないかと言うので、「土曜日も日曜日も空いてるよ〜ん。じゃあとりあえず土曜日にしておこう」と返事をしたとき、土曜日が誕生日だということはすっかり忘れていた。(スケジュール帳に書き込む段になって気付いた。)

公演中Ericoが全員のご飯代を出してくれていたが、しかし私としてはそれに甘えることはできない。

「私がいただくわけにはまいらぬ。武士としての沽券にかかわる」

と、楽日にいくらか渡そうとした。

するとEricoはEricoで、Ericoのルールがあるらしかった。

「できぬ。武士は食わねど高楊枝」

強情である。

結局、「では近いうちに食事でもご馳走してくだされ」と言うので、じゃあそうしようということになった。

ご飯の誘いはてっきりそこから続いているのだと思っていた。つまり私がご馳走する気満々だったのである。今日が誕生日であることはバレないようにしなくてはと、用心したくらいである。

だから待ち合わせ場所にKAZUHOが居るのを見てマジびっくりした。久々に「あっ!」とか言ってしまった。

わ〜い、お誕生日会だ。そうこうしているうちにトミーからも「お誕生日おめでとう」とラインがきて、お祝いムードは一気に盛り上がるのであった。

麻理枝を加えた4人で鳥料理を食べた。ケーキも食べた。ケーキはお約束の花火がバチバチしていた。プレゼントをもらった。

それから、終わったばかりの公演について自画自賛で盛り上がった。いつもだと自画自賛をするのは私ばかりなのだが、今回は素晴らしいチームワークについて称賛し合った。「いいチームだったよねえ」とか「少数精鋭だった」とか、そんなことだ。とにかく「嫌なことが一つもなかった」というのが一致した意見だった。

あー楽しかった。こんなことなら毎年2月の頭に公演を打ちたい。気分上々のままお誕生日に突入できる。

みんな、ありがとうね。

そうそう、公演中にnobからも「少し早いけど」ってプレゼントをもらった。もちろん楽屋で純一とErico相手に大自慢である。

「あのね、nobからもらった。『少し早いけど』って」

もう一回言っておいた。

「あのね、『少し早いけど』って。nobが」

Ericoはおおいに感心していた。

「さすがnobだ。えらい」

純一も感心していた。

「すごいよなあ。おれには絶対できないな」

私は内心思った。

「やれよっ」

 

でも純一もお祝いメールくれたよ。「少し遅いけどおめでとう」って。

笑った。Ericoも言っていたけど、今回純一はけっこう頑張って私たちを笑わせてくれた。

 

純一、来年もメールくれたら本物だ。

| 羽生まゆみ | - | 18:03 | - | -
謝辞

打ち上げは、役者2人と、毎日コヤ詰めだったKAZUHO、ゆーすけ、優樹、麻理枝に私を加えた7人でこじんまりとやった。

その日のうちに帰宅し、翌日は起きたり眠ったりダラダラ過ごし、その翌日と翌々日はさっそくボクシングで汗を流した。否応なく夢から現実に戻りつつあるここ数日である。

昨夜はEricoと電話で話をした。どうやらEricoはペットロスに陥っているようで、話している最中にも「歩太ーーーっ!」と3回くらい叫んだ。かなりの重症である。かく言う私も「歩太に会いたいよォ」と呟く日々だ。

その歩太はすでに歩太の皮がむけて純一に戻り、次回作の稽古に入っているはずである。珍しくご挨拶メールをくれた。「すごく大変でした」「どうなるか怖かった」「出来上がる気がしなかった」等々、気弱な発言が並んでいて笑った。さすが麻理枝に豆腐メンタルと褒められていただけのことはある。

 

(以下、敬称略)

音響プランの鳥越優樹に心からのありがとうを。コヤ詰めどころか稽古場にも詰めて、稽古場での通しと本番のすべてを私と一緒に観た。音楽の知識が圧倒的に不足している私は、具体的な指示を出すことができない。あーだこーだと抽象的なことばっか言って困らせてしまった私を許して。コヤで舞台の掃除までさせてしまった。ゴメンナサイ。コヤで掃除をしたら羽生のスタッフという規則が玉組にはある。よその劇団で音響の仕事をする際は私の了解を取ってからにしてね。

すばらしいBGMを提供してくれた作曲のウエノアヤコにお礼申し上げる。美しい旋律が役者の下手な芝居をカバーしてくれた。やっぱりオリジナル曲は心に沁みる。お会いできなくて残念だった。いつか会ってお礼を申し上げたい。どうか今後ともEricoをよろしくお願いします。

歌唱指導の中川真希に特別の感謝を。いやはやしばらくぶりに聴いたらEricoの歌唱力が上がっていたのでびっくり。真希ちゃんのおかげであることは言うまでもない。最後までダメ出しのあった『ナオミの夢』が、本番では一番ステキに仕上がっていたよ。ああ、あれがもう聴けないのかと思うと萎える。12月の作品を楽しみにしています。

KAZUHO、ああKAZUHO、本当にありがとう。長い友、ゆにっとのKAZUHOに心からの感謝と尊敬を捧げる。チケット管理から受付、雑用の数々と、多岐にわたって活躍してくれた。デキルオンナということは知っていたが、それ以上だった。Ericoはどんなに助かっただろう。もちろん私も。私に恩が返せる能力も方法も無いが、どうか見捨てることなく長いお付合いをと願うばかりである。

同時にゆにっとの舞台監督、浅見雄介には感謝の言葉もない。なにしろ私のいつものスタッフが参加しておらず(舞監の稲毛健一郎は楽日に客席に座っていた! こんなところで何をしておる! と言いたかった)仕込みが心配でならなかったところ、浅見君が颯爽とプロの仕事を見せてくれた。ありがとう。

照明と音響オペをたった二本の腕でやってくれた高橋ゆーすけに愛と感謝を。吊り変えられないという厳しい条件の中、最大限の努力で美しい明かりを創ってくれた。KAZUHOが撮ってくれたツーショットの写真、私はすっかりエロばばあの顔でした。男前と写真を撮るとたいがいこうなる。次回はゆーすけが演出ね。Ericoをよろしく。

向井登子。ここに感謝を書き込んでいいのかわからないが、当パンに名前が載っていたのでたぶんいいのだろうと思い、書く。Ericoとお茶をしてくれてありがとう。そのとき脚本の一ページに、なんか落書きしてくれてありがとう。その落書きは私のファイルに収まって、いつものように稽古の間じゅう、演出席のテーブルに置かれてあった。ゲネの前にコヤへ来てくれてありがとう。舞台を歩いてくれてありがとう。たくさんたくさん、ありがとう。

宣伝美術のオガサワラトールに感謝申し上げる。Ericoに掴まったら逃れるのは至難の業だ。この企画が終わるまで、いやその後も、Ericoはトールさんの首ねっこにくらいついたまま放さないだろう。私もまた、ほっこりした優しい見た目に癒された日々だった。どうぞ長いお付き合いをと願っている。

えあぽ、木箱を塗ってくれてありがとう。突然呼び出してゴメン。久し振りに会った。ちっとも見た目が変わっていなかったのでホント安心した。死んだんじゃないかという噂まであって(私が流したのかもしれないが)、もし激やせとか激太りとかしていたらどうしようと思っていたが杞憂だった。頼めばスーパーマンのようにやってきて私を助けてくれる。変わらず愛しているわ。

演助の木村麻理枝。ここで感謝を述べるのは変な気分だ。スタッフに専念した麻理枝がこんなに優秀だとは知らなかった。私よりホンの台詞が頭に入っていたので愕然とした。これで私はますますバカになるに違いない。バカになっても大丈夫だとわかったから。ありがとう麻理枝。そして麻理枝を育ててくれたKAZUHOに、あらためて感謝申し上げたい。

 

笹本純一とErico。二人の役者に感謝は言わない。私は演出だから。

役者は二人だけ。濃密な一ヶ月だった。きつくて焦りまくりで大変だったけど、楽しかった。芝居についてのあれこれはまた別の機会にゆっくり書いていく。ただ一つ、いろんな評価はあるだろうが、この芝居が良い作品であることを、二人には言っておきたい。なぜそう思うかも、またの機会に書く。

役者としてのEricoにありがとうは言わないが、プロデユーサ―としてのEricoには、この機会をくれたことに感謝したい。

私はまた一つ創ってしまった。幸福である。

 

ご来場のお客さまに心より御礼申し上げます。

今後、私以上の才能を持つ演出家たちの作品が続々2ヶ月おきに登場します。どうか再度、再々度足を運んでいただき、そして同じコヤで、同じEricoで、演出によってどのように作品が変わるものなのかを楽しんでいただけたらと願っています。

ありがとうございました。繭子(小雨)というばーさんを、歩太という犬を、時々思い出してくださいね。

 

演出/羽生まゆみ

| 羽生まゆみ | シリウス、あるいは犬の星 | 18:03 | - | -
通し稽古(稽古場日記7)

さあ、ついに明日で稽古も終わる。残す通しはあと1回。

先週の今頃は絶望のどん底に居た。でも結局仕上がった。そう、いつも結局仕上がるのだ。

玉組ではいつも5回通し稽古をやってからコヤ入りするが今回は4回だった。つまり通し初日に間に合わなかったのである。通しは取りやめて、抜き稽古と止め通しをやるしかなかった。そのくらい仕上がりが遅れていた。

初通しは笑っちゃうくらい台詞をトチっていた。トチってはいたが、しかし初通しを見て仕上がると確信した。何度も芝居を創っていれば、いくらヘボ演出家でもそのくらいはわかる。なんかホント、安心した瞬間だった。

それにしても二人芝居というのは、役者には本当に大変なことなのだとあらためて痛感した。相手にまっ白悪魔が来たとき、対処するのは自分しか居ないというプレッシャーは相当なものである。

それがわかったのは、今回の通しで純一に2回も悪魔が来たからである。かわいそうなErico。見ていられなくて私は思わず台本に視線を落としたね。

それにしても純一は面白いわ。堂々と舞台上でミスる。ごまかさずにミスをやりきる。

昨日なんて舞台上で突然、キョロキョロと何かを探し始めた。

私は隣りに座っている演助の麻理枝にこっそり訊ねた。

「純一はいったい何を探しているの?」

「わかりません」

麻理枝は小道具に責任があるので、たぶん私より純一の捜し物が気になったに違いない。

通しが終わって、私はさっそく純一に訊いた。

「何を探していたの?」

純一は言った。

「立ち位置です」

「はい?」

「急に立ち位置がわからなくなって……」

捜し物は小道具ではなかった。まさかの立ち位置であった。立ち位置が、キョロキョロ探して見つかるものだろうか。びっくりである。

 

純一は今回本当によく頑張って私を笑わせてくれた。一人しかいない男子としての責任感からだろう。

いよいよ明日は最後の稽古場。いっぱい笑わせてね。

 

| 羽生まゆみ | シリウス、あるいは犬の星 | 22:05 | - | -
ライブハウス(稽古場日記6)

初日一週間前に、公演会場で場当たりができた。これは画期的な出来事である。

今回は乗り打ちなのでなんだかんだの不安でいっぱいだったがこれで安心できた。Spase CUBEさんのご配慮に心から感謝申し上げたい。

一番の不安はやはり「劇場ではない」ということだった。

私はこれまでリアルセットを組まずに芝居を打ったことがほとんどない。芝居の内容と雰囲気から美術のリアルは命題だった。なのでパネルを立てなかったのは劇団を揚げる前の1、2回のみである。(『地下室のダンディ』は立てていないが、新宿モリエールの壁をそのまま使って地下室感を出した。間違いなくリアルであった。)

私は「いつもと違うこと」が苦手だ。役者たちには「勇気を出せ」とわめいているが、自分自身はかなり勇敢さに欠ける。臆病者である。

しかし杞憂だった。親切な方々の活躍で、私はまた憂いなく本番を迎えることができる。(役者の芝居に関してはまだ憂いだらけだが。)

なんだかさ、私はいつも解決策のないまま、こんなんは嫌あんなんは嫌、こんな感じあんな感じ、と言うだけだ。そしたらいつの間にか誰かが解決してくれるのだ。今回の舞台美術も、「床につるつる感があるのは嫌だ」とか「幕芝居は嫌だ」とか、「物置感」だの「ごっちゃり感」だのと繰り返していたらなんとかなっていた。

三脚を利用した芝居も実は心配だった。稽古場に三脚が無いのでパイプ椅子を相手にやっていたからだ。どんなに想像力を働かせてもパイプ椅子はパイプ椅子で三脚には見えない。これも会場で本物の三脚を使って試すことができた。三脚が相手では純一がフェロモンを飛ばすことができないと、早めに確認できてよかった。猛稽古して飛ばせるようにしなくては。

 

KAZUHOのお世話になっている。ライブハウスの仕様がまったくわかっていないので(それ言ったら劇場もだが。しかしそんなことをベテラン演出家の私が告白したらまわりがビックリするのでなるたけ内緒にしている)ぽわんとしていたら、KAZUHOが私の代わりにあれこれいっぱい確認作業をしてくれた。

KAZUHOの気が付くことったらないよ。知っていたけどやっぱりすごい。制作の仕事なんぞ、もう完璧である。激疲れのEricoも、KAZUHOと麻理枝の言うことをヘイヘイ聞いていればなんとかなる。

KAZUHOのおかげでいろいろ覚えた。今度どこかのライブハウスで公演を打つことがあったら下見のときに、

「ツラにあるスピーカー、もう少し低くできない?」

これは絶対に言ってみたいと思っている。

| 羽生まゆみ | シリウス、あるいは犬の星 | 18:04 | - | -
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