羽生ノート

羽生一家玉組座長・羽生まゆみが気儘に綴る日々雑感です。
9時間!

Ericoからご飯のお誘いメールがあって了解の返事をした。

KAZUHOからもご飯のお誘いメールがあって了解の返事をした。

それぞれ私に内緒のお話があるというわけではないらしい。で、2コを1コにまとめちまった。

悪意むんむんの内緒のお話があればそれはそれで面白かったのだが、まあ平和でにぎやかなお食事会の方がいいに決まっている。

前半の話題はもっぱら公演が終わったばかりのEricoプロジェクトのことだったかな。Ericoはコヤ入りしてから稽古中に過呼吸を起こして皆さんにご迷惑をかけたらしい。

私は驚いて言った。

「過呼吸ってほんとになるんだ。AKBなどのアイドルがちょいちょい倒れるやつでしょ? 甘えてんじゃねーよと思ってた」

Ericoも頷いて言った。

「私も甘えてんじゃねーよと思ってた」

過呼吸なんて、てっきり若いお嬢さん方の自意識過剰病だと思っていた。誤解だった。深く反省した。

そういえば私も「めまい」なんぞ病気のうちに入らんと思っていたが、自分がなってみて初めて辛さがわかったものだ。万が一稽古中にメニエールが再発したら、私きっと稽古を休む。気合いではどうにもならないことを今では知っている。

まさかEricoが具合が悪くなるとはね。

2ヶ月に1回という過密な稽古と公演で、Ericoもさすがに疲れがたまってきているのだろう。それはコヤに詰めているKAZUHOと麻理枝も似たようなもので、続けざまに公演を打つことの大変さは並大抵のことではない。

コヤでEricoとKAZUHOにハグされたよ。Ericoは涙ぐんでいるし、KAZUHOは収穫3日目の菜っ葉みたいに萎れていた。二人とも私の顔を見て脱力したらしいが、こういうのは大変めずらしい。たいがいの役者(特に男優)は私を見るとむしろ筋肉が固まる。ハグや脱力どころか、後ずさりで逃げにかかるもの。

 

帰宅したときすでに10時を回っていた。お腹が空いていることに気付いた。冷蔵庫から手羽先を取り出しながら、お食事会だったのになんでお腹が空いているんだろうと不思議に思った。そして気付いた。お食事は「昼ごはん」だったのだ。つまり私達は「晩ごはん」を忘れてずーっとお喋りしていたのである。9時間も!

そんなわけで夜の10時に手羽先を焼いて食べた。

そうそう、掲示板にも書いたが、昼ごはんより和風喫茶で食べたクリームあんみつとほうじ茶セットの方がよほど高額だった。貧乏臭いことは言いたくないが、最後に入ったベローチェのコーヒー200円にホッとしたね。

ベローチェでは合流した麻理枝も加えてたくさんお話した。やっぱり頼りになるのは女だわ。玉組は大昔からそうだった‥‥実感。

さあErico、ちょっと休んだら次だ。Roundぁ 共演者のトミーにたっぷり甘えなさい。

トミー、Ericoを頼むよ。

 

トミーは男の中では例外的にマシな方である。

| 羽生まゆみ | - | 04:19 | - | -
記憶違い

EricoプロジェクトRoundの公演も本日が楽日である。

早いなあ、もう3つ終わったよ。私のときは「極寒の2月」なんて台詞が作中あったくらいなのに、気づけば梅雨だ。4つめの次回は真夏の公演である。

Ericoは謙虚に真摯に取り組んでいる。えらいよまったく。私なんぞ、ベテランと呼ばれるようになった頃は「文句」しかなかったもん。全然謙虚じゃなかった。いっつも怒ってた。ヘボい役者ほど文句が多い。

 

お芝居を観るたびに稽古場が恋しくなるが、しかしこの頃の私は芝居とは関係のない日常を過ごしている。サンドバッグ相手に戦ったり、ソファに寝転んでお菓子食べたりTV観たり、オリンピックのチケットを取る為に50万人の行列に並んだりね。

ほかには、この頃はよく映画館に通っている。先日何十年振りかで『ゴッドファーザー』を観て激しく感動した。その数日前に観たばかりの『空母いぶき』がぶっ飛んだもの。それなりに面白かったのに、そんな気持ちも敵潜水艦と一緒に海の藻屑と消えてしまったよ。

感動したのは多分に「懐かしさ」もあったかもしれない。ドン・ヴィトー・コルレオーネという名前が出てきただけで「そうだった、そうだった。コルレオーネだった!」と胸がいっぱいになった。

『ゴッドファーザー』は気ら靴泙任△襪里如記憶にあるシーンがごっちゃになっていたり、良いシーンがすっかり記憶から脱落していたりで、ああ私って残念な数十年を過ごしていたのねと悔いた。こんな良い映画、しっかり記憶しておきたかった。

私の記憶ではなぜか、パパ・コルレオーネ(マーロン・ブランド)と三男のマイケル(アル・パチーノ)には大きな確執があったのだがとんだ勘違いだった。記憶ってほんと、当てにならないものなのね。

長男のソニー(ジェームズ・カーン)についても大いなる記憶違いをしていた。ソニーはバカタレだと記憶していたのだ。とんでもなかった。私、登場人物の中でソニーが一番好きかも。これについてはたぶん、私自身の成長によるものだと思う。無垢な少女の私は気短ですぐ逆上するソニーを「良い」とは思わなかったのだろう。「バカタレ」の烙印をペタリと押して、それが記憶に残ったというわけだ。

今は逆上する男が好き。いざという時、家族が危険な目に遭う時、侮辱された時、男は殴らなくてはいけない。腕っぷしが強くなくてはいけない。と、無垢な少女から垢まみれの大人に変身した私は思う。なにはともあれ、ジェームズ・カーン、めっちゃいいわ。『ミザリー』と『愛と哀しみのボレロ』にも出ていたことを思い出した。やっぱり良かった。この二つもまた観たい。リバイバル上映してくれないかなあ。

 

もっとちゃんとしたストーリー説明と感想が書ければよいのだがむつかしい。ごめんなさい。

そういえばTVで『美女と野獣』をやっていてやっぱり面白かった。野獣の皮がむけて中から野獣疲れしたヘロヘロ王子が出てくるところが好き。二度目の鑑賞だから覚悟ができていて楽しく観ることができた。映画館で初めて観たときは、ヒラヒラな王子ファッションの王子が颯爽と出てくるとばかり思っていたので、ヘロヘロ姿に激しくガッカリして椅子の下に崩れ落ちそうになった。できればヘロヘロ姿よりヒラヒラ姿が観たかった。今回は「きゃあ、疲れてる〜ぅ」と笑った。

面白かったので、現在上映中の『アラジン』を観ることにした。

 

| 羽生まゆみ | - | 05:09 | - | -
男女平等

ちょっと考えさせられる新聞記事を目にした。

カンヌ国際映画祭の記者会見で、アメリカの女性記者がタランティーノ監督に「才能ある女優を起用しているのになぜ台詞を与えなかったのか」と質問したらしい。そのせいでタランティーノ監督のご機嫌が悪くなったというのだ。

別にタランティーノのご機嫌が気になったわけではないよ。気になったのは質問の方である。質問は暗にタランティーノ監督を女性差別主義者と批判しているわけで、監督のご機嫌が悪くなるのは当然であろう。

この頃アカデミー賞やら国際映画祭やらで、私にはわけのわからん人権問題が議論されている。女性や黒人の受賞者が少ないとか、過去に女性差別発言のあった俳優が受賞するのはおかしいのではないかとかね。

人権について書くのは恐ろしい。私が目にした新聞記事とは日経新聞の署名記事なのだが、記事自体がなんとなーく奥歯に物のはさまったような文章で、記者自身の意見はあまりよくわからなかった。

私も気を付けながら書く。

さて、私は男性差別主義者である。劇団を揚げてからは、女優達に男優達の悪口を言いながら生きてきた。「男は役にたたん」と、たぶん一千回くらい口にしていると思う。

しかしその主義者の私が、主義者だからといって男優の台詞を少なくしたことなんぞいっぺんもない。むしろ女優より多いくらいで、主役の重責も、その「役にたたん」男優が担ってきた。

私の芝居を観て「女優になぜ台詞を与えないのか」と質問されても困る。

「だって自然にそうなっちゃうんだもん」と答えるほかない。思いついちゃったことを書くだけだ。

脚本くらい自由に書かせろと言いたい。だいたい台詞の数を男女平等にしたくても、そもそも数えるのが大変である。一場書き終わる度に、いち、にっ、さん、と勘定して、「うげっ、男の方が多い!」と次の場で調整しなくてはならんかったらそれだけで私は力尽きるだろう。執筆どころではない。私のワープロソフト、愛する一太郎君には、男女別の台詞数を数える機能なんて備わっていない。ライバルのMr.Wordはどうか知らんけど。

 

そもそも役の重要度に台詞の多い少ないは関係ない。私の芝居だって、台詞は少なくてもステキな役はたくさんある。そういう役を愛してくれる役者を、次回作でぜひ依怙贔屓したいものだ。台詞、いっぱいにするぞ。

て、結局私は差別主義者?

 

ここに何度も書いてきたが、「正義」を振りかざす人が嫌いである。

報道に自由があるように、表現にも自由があることを、件の女性記者は忘れている。

 

| 羽生まゆみ | - | 18:02 | - | -
諸先輩

大昔の演劇仲間が演出や出演をしている舞台を観てきた。3人とも60才をいくつか超えている、仲間と言うのもおこがましい諸先輩方だ。3人のうち誰が死んでも私は駆けつけねばならない。(舞台での姿を観る限り、先に死ぬのはたぶん私だろうが。)

お葬式に駆けつけねばならないのだから芝居の公演に駆けつけるのは当然である。というわけでこの度の観劇は紛うことなき義理! であった。義務! であった。ところが‥‥ところがである。面白かった。しかも、とても面白かった。

抽象的な芝居だから話のスジはよくわからない。でも台詞が上等できれいなら、私にとってスジを追うことはあまり重要ではない。

会場はコンクリートがむき出しになったビルの地下。かなり広い。むき出しコンクリートをそのまま利用した舞台に、銭湯の浴槽やカランが、打ち捨てられたようにセットされてあって、これがビルの廃屋感を醸しだしている。好き系の美術だ。リアルセットである。(どうして銭湯なのかは最後までわからんかったが。初日を観たはずの麻理枝に今度訊いてみよう。麻理枝はどんな芝居のスジにもけっこついていける人なので。)

BGMは生のバンドでこれも良かった。生の楽器がBGMを奏でる芝居というのはちょいちょいあるが、とってつけたようなことに成り下がっている場合が多く、今回のように芝居に溶け込んでいるのは珍しい。柱が邪魔して私の位置から演奏風景がほとんど見えなかったのが残念だった。チェロみたいなものがちらっと見えただけだった。

暗めの照明も梁やら柱やらに当てる灯りがきれいだし、カットアウトがめっちゃカッコ良かった。

やっていることは目新しいものではない。鼻をくすぐる匂いは、はるか昔のアングラ芝居である。だから「黴臭い」という批判を覚悟しなくてはならないだろう。だがはたして、今の小劇場に目新しさはあるだろうか。10年前か100年前かの違いだけだ。だとすれば、古かろうが新しかろうが、頭の良い人達が丁寧に創る芝居が私は好きだ。

 

大谷さん、山中さん、麻実さん、お疲れ様でした。

山中さんも良かったけど特に麻実さん、良かったなあ。

麻実さんは、ゆりえと同じく後藤さん(私の役者時代の演出家。2014.11.10ほかの羽生ノート参照)の芝居で主役を張っていた女優である。そしてゆりえと同じく最後まで後藤さんの芝居に出ていた。当時、同じ舞台に立っていながら後藤さんの右腕だった麻実さんは私には遠い人だった。

けれど時がたち、こうしてまた芝居を観ることができ、けれど時がたてば、こうして「時」などなかったように話すことできる。客出しで麻実さんが私に見せてくれた笑顔が嬉しかった。

普段はどこへ行っても一番年上で、演出家だからエバっていて、役者には煙たがれる私だが、会えば「へへーっ」とへりくだらなければならない人達が居ることが嬉しい。「へへーっ」とへりくだっている私が好きだ。一生変わらない上下関係に酔う。

大谷さん、お疲れ様でした。次回作をたのしみにしています。

 

そういえばサナエとヤンも来ていたなあ。二人とも後藤さんの芝居でヒロインを張っていた。

なによっ、この日集まった4人の後藤チルドレンの中でヒロインをやらせてもらえなかったのは私だけじゃん!

まあ仕方がない。私はその程度の役者だったのだ。

 

などと、いまだ根に持っている私を後藤さんはどう思うだろう。

| 羽生まゆみ | - | 03:51 | - | -
いきなり月謝の話から(練習生日記5)

前回生け花のことを話題にしたら本気で習いたくなって、ご近所に生け花教室がないか調べた。で、あったけどお月謝がお高いわ。材料費(花代)がかかるからね。その点ボクシングはお安い。私は週3で通っているから1回あたりの単価が、ランチタイムのミックスフライ定食より安いくらいである。申し訳ないお値段だ。

というわけで生け花はあきらめて、当分ボクシングとお習字に集中しよう。つーか床の間のある家に住んでいるわけでもないのに、お花の腕がどれほど役に立つか不明である。

ボクシングは私に向いていると思う。練習がとっても楽しい。そもそも私は筋トレも夢中になったくらいで、基本、身体を動かすことが生来好きなのだと思う。芝居なんかやらずに運動選手になればよかった。

10年以上になるフィットネスクラブ通いも休まず頑張っている。先だってマーシャルの手が覚えられないと愚痴ったばかりだが、早くも勘を取り戻しつつある。戦いに没頭するあまり、つい「ヤッ」とか「エイッ」とか声が出てしまうので気を付けなくてはならない。まわりのマダム達に引かれること請け合いである。

ボクシングジムでも、引かれないようなるたけ目立たないようにしている。みなさまに好かれる羽生でありたいと思って、フィットネスクラブや他の場所ではガンガン飛ばしている「話しかけるなよオーラ」も引っ込めている。でも飛ばさなくてもあんまり話しかけられないのでオーラは関係なかったようだ。

早く上手になりたいなあ。まわりはみんな上手だ。指導が上手いのはもちろんだが、男の子というのは元々格闘技好きのDNAを持っているのだろうね。太古の昔から、食物を得るために、血統を残すために、男は戦わなくてはならなかったから。

ゴローやゲットなど若い俳優陣も、芝居はヘタなのに木剣を持たせると急にサムライになったものだ。でも私は男の子のそういうところが好きだ。男の子はやっぱり戦わなくちゃいけない。腕力はないよりある方がいいに決まっている。いざという時相手を殴り飛ばせなくてどうする、と思う。

まずい。こういうこと書くから、なかなか「みなさまに好かれる羽生」になれないのね。

 

芝居ネタがなんにもない。とことんやる気が湧かないらしい。

『シリウス〜』からすでに3ヶ月もたってしまった。Ericoは10日から早3本目の稽古が始まる。芝居漬けの日々かあ。うらやましくもなんともないな。

| 羽生まゆみ | 練習生日記 | 22:57 | - | -
天照大神

さて、本日で平成が終わる。TVはまるで大晦日あつかいの大騒ぎである。

でもそれがいいと、明るいのがいいと、昭和から平成への代替わりを知っている私などはしんみり思う。あのとき昭和最後の日は、昭和天皇が崩御されたまさにに当日で、当然ながら浮かれるなんてとんでもなかった。憲法のことはわからんが、このたび天皇陛下は良い決断をされたのではないかと、素人の呑気さで思ったりするのである。

もう一つ素人の勝手な感想を言うと、私は「上皇」や「仙洞御所」が蘇るのがうれしくてたまらない。歴史の本や小説の中に登場する「物語の人」でしかなかった上皇が、現実にこの世に生きるのである。わくわくだ。

この頃天皇ご夫妻に関するTV番組をよく目にする。先日は皇后様が詩の朗読をされていて、びっくりのあまりTVの前で固まった。なぜ固まったかというと、シロートじゃなかったからだ。玄人裸足の上手さで心底仰天した。

これはもう間違いなく朗読会に足を運んでいる。朗読も芝居と同じで、ちょっと練習したくらいでできるものではない。「詩」と「朗読」への深い理解が必要だ。そしてテクニック。訓練を受けていると思う。

英会話堪能だし、ピアノ弾いて絵も描けるし、書と和歌もお上手だし、作家レベルの文章を書くし、心根も美しいし(あくまで印象だけど)、美人だし、乗馬できるし‥‥完全無欠である。そのうえ詩の朗読とくれば、これはもう奇跡の人と言うほかない。

 

NHKがニュースで「皇室の祖先は天照大神」と報道して騒ぎになった。神話と史実を混同しているという批判である。

私なんぞ皇室の先祖は天照大神だと今日まで思ってきたので、今さら神話と混同などと叱られても困る。りっぱに混同してるもん。その方がずっと楽しい。だって天照大神って天岩戸に隠れちゃった人(神さま)だよ。めっちゃ有名人(有名神)。その子孫だなんてわくわくする。

だからって今の天皇を現人神だなんて思わないし、人間だってことは重々承知だ。当たり前だろ!

NHKもたまたま言い方間違えただけで天皇を神様だなんて思っているわけないじゃん。ほんとに揚げ足取りのバカバカしい批判である。

私は天皇家が背負う壮大な物語が好きだ。一つの血統が神話の時代から連綿と続いているわけで(神話が叱られるなら天智天皇あたりからでもいいよ。それでもたっぷり連綿だ)、その事実だけでたいした物語である。

日本において文化一つを取り上げても、皇室の果たした役割はものすごく大きい。皇室のおかげで1000年もの間美しい姿で残っている文化遺産は多いのだ。これも一つの血統のおかげだと思う。血統が変われば前の血統が持っていたものなんてそれほど大事にはしないだろうから。

 

昨年だったか後水尾天皇(江戸時代初期の天皇で上皇。出たっ、上皇!)のことを書いた小説を読んでいて、そこに皇居での書物の虫干しシーンが出てきていたく感動した。

お公家さんがやって来て、虫干し中の藤原行成だったか紀貫之だったかの書を大喜びで借りていくのだ。お習字のお手本にするためである。今私がお手本にしているのがまさにこういった方々の筆であるから感慨一入のシーンであった。私なんぞ写真版のお手本でもわくわくなのだから、お公家さんたちは真筆のお手本にわくわくも100倍だっただろうと思う。(雑に扱って墨つけんなよっ、と思った。)

お公家さんが持ち帰ったお手本はおそらく古今和歌集あたりの写本だろう。古今も新古今も言わずと知れた勅撰和歌集である。つまり天皇家は和歌と書を同時に後世に残したわけである。ほんとにほんとにありがとうなのだ。

ちなみに後水尾天皇は生け花(立花)も大好きで、華道家元の池坊の発展にものすごく貢献している。日本に生け花という文化が根付いたのはこの天皇のおかげかもしれない。

あー日本人に生まれて良かった。

 

というわけで、本日は天皇の代替わりにちなんだ書き込みでした。

私は今夜、いつもどおりボクシングの練習だけど。

| 羽生まゆみ | - | 19:29 | - | -
肉を焼く

20年以上前に2度出演したことがある演劇フェスの関係者から「同窓会をやる」とTELがあり、驚いた。

よくまあ私の電話番号を削除せずにいてくれたものだ。そもそも私のことを忘れずにいてくれてありがとうである。そんなわけでたった2度のお付合いだったにもかかわらず出席させてもらった。懐かしい共演者たちにも会いたかったし。

会場は新宿の焼肉屋さん。13人が集まっていた。しかし残念ながら13人のうち、知っているのは幹事のノリと、前の席に座って私の相手をしてくれたユージだけだった。一番会いたかったヤスコは来ていなかった。そっかあ、今回ダメならもう一生会えないだろうなあと思った。

というわけで知らない人ばっかだったので、人見知りさんの私はさあ大変。何を喋っていいのかわからない。で、ひたすら肉を焼いていた。店員さんが運んできたお肉の皿は、たまたま私の前に並べられる。ありがたい。トングを他の誰かに取られないようずっと握っていたし、自分が食べるときは目の前に置いて見張っていた。こんなにお肉を焼いたのは初めてである。焼肉だろうがお好み焼だろうが、たいがい誰かが焼いてくれる人生だ。

でも楽しかったよ。ノリとユージ、ありがとう。それから気を遣って話しかけてくれたみんなにもありがとう。

そうそう、ノリに「羽生さんにラインが送れない」と怒られた。

私は驚いて訊いた。

「え? なんで?」

「それは俺が訊きたい。拒否を解除してくださいっ!」

そんなわけで帰宅の電車の中でなんとかしようと奮闘したがようわからんかった。もしかしたら他の人のことも知らないうちに拒否ってんのかしら。わからん。世はスマホ時代。みなさんに名刺を配ったけどかえってご迷惑だったかも。ゴメンね。

 

昨日は同窓会、今日はネット通販で買った毛布が届くのでボクシングの練習に行けない。前の練習から5日も空いてしまった。いかん。気持ちが暗くなる。というわけで明日から連休が終わるまで毎日通う覚悟だ。

この頃「防御」を習っているよ。腕で顔(頭)をガードするブロッキングや、相手のパンチを払うパーリングという技だ。防御ができるようになると俄然それっぽく見える。それっぽくとはつまりボクサーっぽくということである。

根気よく教えてくれるトレーナーの皆さんにホントありがとうである。誰からも意地悪言われないし怒鳴られない。たくさん通っても文句言われない。あー幸せ。私も節度と距離に留意して、良い練習生たらんと努力している。同じ轍は踏むなのことわざを胸に。

 

さあ、良い季節だ。動くよ。

連休が明けたら屋久島の森へ行く。森の空気に浸ってくる。

| 羽生まゆみ | - | 18:59 | - | -
髑髏城の続き

「羽生さん、『髑髏城』観たんですか?」

ここに髑髏城のことを書いたら、Ericoから早速メールが来た。Ericoは劇団☆新感線の『髑髏城』シリーズの大ファンなのだ。ほとんどの作品を舞台はもちろんゲキシネやライブビューイングを含めて観ている。あと『月上弦』を観たらオール制覇らしい。

そっかあ、私が玉組を大きくすることができていたら、客席がぐるぐる回る劇場でEricoに極楽太夫(みたいな役)を演らせてあげられたのに。本当に申し訳ないことである。

今ここを読んで「羽生さんにぐるぐる劇場用の芝居が創れるわけなじゃん」と思ったあなた、それは私を見くびっておるぞ。創ろうと思えば創れる。と、思う。書けなかったら『シリウス、あるいは犬の星』を再演する。舞台を屋根裏部屋から城に移せばよいだけだ。犬を100匹出す。

ぐるぐる劇場でエンターティメントに徹した芝居を創り、古くからの玉組ファンに「羽生さん、変わったね」とか「私は小さいコヤで観る羽生作品の方が好きだな」とか冷たく言われてみたい。うふっ、たまらん。

そうなると役者なんて選び放題だ。大物俳優が向こうから「出してちょうだい」と来る。でもEricoちゃん、ご安心を。極楽太夫(みたいな役)は誰にも譲らない。極楽はEricoでいく。(えっと‥‥たぶん。)夏木マリが来たらわからん。裏切るかも。

 

こんなことを想像するのは楽しいが、みじめになるだけだからやめよう。

でも玉組を揚げた当時は劇団の成功を本気で信じた。いずれ舞台の企画・制作と役者のマネジメントをする制作会社を立ち上げるのは、座長たる私の最低限の義務だと考えていた。今思うと噴飯ものである。あー恥ずかしい。途中から役者(二人の主演俳優のことね)が裏切ると確信したのであんまり考えなくなった。役者の協力がなければどうにもならない。協力とは言わなくてもせめて主演俳優には、自分が所属する劇団へのゆるぎない愛と誇りが必要だった。

役者のせいにしているわけではないよ。私の力不足が決定的な敗因である。役者に頼む必要がないくらい、圧倒的な才能があれば良かった。黙っていても役者が誇りとしてくれるくらいの才能が。

この頃はもう責任感や欲から解放されてとっても楽だ。『サンタクロース〜』も『シリウス〜』もただただ楽しんで創った。創れただけでも幸福だ。

 

そうそう、上で悪口を書いた元主演俳優から、新しい年号が発表された翌日に突然ラインがきた。

「凛とした年号だと思う。羽生さんを思い出した」

用事はそれだけ。変なやつだ。私がメールしてもガン無視のくせに。

みなさん、このことはEricoには内緒ね。匡人の名前出しただけで激怒するから。

 

早く仲直りしてくんないかなあ。めんどくさいじゃん。

| 羽生まゆみ | - | 23:46 | - | -
お稽古事

やりたいお稽古事がいっぱいある。『髑髏城〜』の影響で殺陣を習いたいと思ったし、あと和太鼓と生け花。(あっ、全部ニッポンだ。)

お芝居から解放されて現在ご隠居さんのような心持ちになっているからかもしれない。芝居に気持ちが入っていると他のことをやる気にならないからね。

そうは言ってもボクシングとジムで手いっぱいだ。なにしろ週5で身体を動かしている。それなりに疲れるので優雅にお花を活ける余裕があるかどうか。殺陣と和太鼓は当然ながら肉体的疲労が激しいだろう。

 

お稽古事と言っていいかわからないが、筋トレをやっていた4年半の間行っていなかったスタジオレッスン「マーシャルワークアウト」を復活させた。殴ったり蹴ったりして戦うやつだ。短刀は持たない。素手である。

それにしても4年半休むと勘が鈍ったのか、振りつけ(手)がまったく覚えられない。早すぎて迷子になり途中で棒のように立ちすくむことしばしばである。恥ずかしいし悔しい。なので逆に燃えて休まず通っている。

手さえ入れば誰よりもステキに動くことができる。なぜなら女優である私には想像力と表現力があるからである。私の戦いを見ていれば、そこに見えない敵の姿を見ることができる。私のバックキックは天魔王も一撃で倒せる素晴らしさだ。でも7手が限界。これ以上の手があると棒立ちになる。長引く戦いは負ける。

この「マーシャル」と「ずんば」のレッスン終了後トレーニングルームに移り、つまり週2日、1時間みっちり筋トレとストレッチをやっている。もちろん筋トレはパーソナルでやっていた頃のようにはいかないが、自分なりにけっこう追い込んでやっている。強度はともかく時間なら今の方が長い。パーソナルレッスンも1時間だったけどそのうち15分はウォームアップのランニングだったからね。(実はこの15分が私には不満だった。長すぎる。)

今はスタジオレッスンですでに身体は温まっているから走らない。強度の低さが弱点なのはわかっているからインターバルはほとんどない。そう、私は自力で、一人で頑張っている。

 

もう一つのお稽古事が言わずと知れたボクシングである。ボクシングは楽しいけどやっぱり難しい。身体の力を抜いて打つという技術が私にはなかなか習得できない。なにもかも全力なのが私の欠点だ。「様になる」が現在の目標である。すてきにシャドウができるようになりたい。

ボクシングジムではなるたけ目立たないよう気を付けている。練習生の中で私が飛び抜けて年上なのは間違いなく、普通にしているだけで浮く。しかも女だし。浮くのは嫌だ。恥ずかしい。ウエアだってなるたけ目立たないよう地味なTシャツである。本当はムキダシでサンドバッグを打ちまくりたいのだが、とてもそんな勇気はない。第一ボクシングではウエアの基本は長袖のようだ。試合はあんな半裸なのに、練習中は長袖のシャカシャカやパーカー、長TとTシャツの重ね着といったものが上手な人の主流である。

 

文系のお稽古事もやっている。書道のお稽古は再開してこの5月で7年になる。月日のたつのは早いなあ。入門当時すでに兄弟子だった小学生がこの春から高校生になった。

受験勉強が終わり、

「これまでより書道に時間が取れると思います」

おお、なんという頼もしい言葉。先生も嬉しそうだ。私も嬉しい。書をやる男子高校生はかっこいいと思う。男の子には力強い漢字を書いてもらいたいというのが私の勝手ながらの要望である。学生の展覧会へ行くとたまにガツーンとした良い漢字を観ることがあって、それがたいがい男子なのだ

私自身は「かな」に力を入れたい。「かな」の芸術性の高さに感動する日々である。いったい誰がどのように「かな」を発明したのか知らないが(まあ平安貴族だろうが)たいしたものである。

なかなか上手にはならない。生きているうちに作品は書けないだろうし、自分の書体を見つけることもできないだろうが、こうして書の知識を深めていることを幸福に思う。今頃になってもまだ学べることがあるということ。

 

先生とパーソナルで向き合う週に一度の時間は静謐である。

墨の匂いが心から好きだ。

 

| 羽生まゆみ | - | 00:54 | - | -
髑髏城っていうネーミング好き

『髑髏城の七人』を、ゲキ・シネで初めて観た。面白かった。『髑髏城〜』がミュージカルだとは知らなかった。

実は新感線のことはアクの強い役者がそろっていること以外あんまり知らないのだ。とんでもなく売れている劇団で、私には雲の上の人、おとぎ話の世界に住んでいる人たちである。

転換がどうなっているのか最後までわからなかった。カーテンコールの映像で初めてドーナツ状の劇場であることがわかった。ドーナツの穴の部分が客席なのである。なるほど、全部の装置を周囲に立て込んでおいて、転換のたびに舞台(ドーナツの食べる部分)を回しておるのかと感心していたら、じゃなくて客席の方が回っていることを、帰ってネットで調べて知った。すごいわ。行きたい。私も回りたい。

早乙女太一の殺陣がしなやかだった。柔らかくて速い。独特の殺陣だったなあ。好きかも。

脇を固めた梶原善や栗根まことなど実力派俳優陣の芝居も良かった。カジゼンは何を演じてもなーんか好き。上手そうに見えないのに上手い。

一方、松雪泰子は感心しなかった。舞台の経験があまりないか、あるとしても演出にダメを出されてこなかった役者である。間がもたなくてずーっとモニョモニョ無駄に動くのが気になった。せっかく階段に足をかけても2秒で外してしまうとかね。これはシロートがよくやるやつだ。声も前に向かわず天井に向かっていた。すぐに直せることだから惜しいなと思った。

ホンに関しては私とはジャンルが違い過ぎて、何かを言ってよいのやら悪いのやら。ストーリーはともかく言葉は稚拙である。先だって漢字について一家言をぶったが、使用されている漢字は固有名詞を除くとほぼ中学で習う漢字でまかなわれていると思った。しかしこれも余計なお世話で、文学性よりエンターテイメント性を優先すれば当然わかりやすい言葉の方がいいに決まっている。(でも恐ろしい天魔王が重々しく大マジメに幼稚な言葉を使っているとちょっと興醒めする。)

いかんいかん。演出家はすーぐイロイロ言いたがる。

 

出演した役者は楽しいだろうなあ。私も出たい。ヒロインの沙霧がやりたい。短刀を逆手に持って戦うのは子供の頃からの憧れである。捨之助と舞台を走り回りたい。階段を猛スピードで駆け上がり駆け下りたい。

役者をやっていた頃、どうしてこういう役をもっと追い求めなかったのだろう。私はいつも、本当に好きなモノ(人)に対して臆病である。ガツガツ行けない。むき出しで闘うことができない。興味のないふりをする。そして後悔する。

| 羽生まゆみ | - | 00:41 | - | -
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